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やっと出会えた!『ジャンヌ・サマリーの肖像』・・・・プーシキン美術館展 [私的美術紀行]

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“ロシアが愛した珠玉のフランス絵画、待望の来日”という「プーシキン美術館展~フランス絵画
300」を横浜美術館で見てきました。

モスクワの国立プーシキン美術館のフランス絵画コレクションは、女帝エカテリーナ2世らロマノフ王朝の歴代皇帝や貴族、大商人などが情熱をもって収集した質の高いコレクション。

当初、20114月に開催予定だったのが東日本大震災と原発事故の影響で延期となり、2年遅れで実現した本展覧会には、17世紀に古典主義を確立したプッサンから、18世紀ロココを代表するブーシェ、19世紀に活躍したアングル、ドラクロア、モネ、セザンヌ、ゴッホ、そして20世紀のピカソやマチスまで66作品が出品されています。

シチューキン、モロゾフという変革を先取りしたコレクターが集めた近代フランス絵画コレクションから今回も素晴らしい作品が来日しましたが、印象派以降の4作品について、
2005年に東京で開催された「プーシキン美術館展~シチューキン・モロゾフ・コレクション」や2012年の「エルミタージュ美術館展」などで鑑賞した作品もまじえてご紹介したいと思います。



本展覧会最大の注目作品は何と言っても、本展のキービジュアルにもなっているルノワールの『ジャンヌ・サマリーの肖像』でしょう
ルノワール・ジャンヌ.jpg
★絵はがきルノワール『ジャンヌ・サマリーの肖像』★
1877年:プーシキン美術館蔵;旧モロゾフ)

ジャンヌの肖像画として2作目の本作は、背景のバラ色とほのかにピンクがかって見える肌の色が20歳の乙女の持つ愛らしさを表現。
描かれた人物や鑑賞者を幸福にさせる“永遠の微笑み”といわれるこのビジュアルは、2011年の4月2日から開催予定だった展覧会のPRポスターなどで何度もご覧になった方も多いのでは。
初来日が約2年遅れになってしまったけれどやっと実物に逢えた!

ルノワールのパトロンだったシャルパンティエ夫人のサロンで知り合ったコメディ・フランセーズの舞台女優ジャンヌはルノワールのお気に入りのモデル。一時はルノワールと結婚の噂もあるほど親しかったのですが、ジャンヌは富豪の息子と結婚した10年後に33歳の若さで病死してしまいました。

若い女性の愛らしさにあふれた本作は、多くの批評家によって「ルノワールの印象主義的肖像画の中で最も美しい」と評されていますが、実際のジャンヌは大柄な体格とりりしい顔立ちの持ち主で、粗野な田舎娘の役を得意としたそうです。


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★ルノワール『女優ジャンヌ・サマリーの省像(立像)』★
1878年:エルミタージュ美術館蔵)
Photo by 「週刊世界の美術館」

胸元が大きく開いた白いレースのドレスは当時のパリの流行ファッション。
この頃、パリではファッション誌の創刊が相次ぎ、女性のファッション熱もヒートアップしていた。

同じロシアのエルミタージュ美術館にもジャンヌの3作目の肖像画がありますが、プーシキンの肖像画に対して“立像”とも呼ばれる本作の画像の方が美術書などでよく見かけるかもしれません。

私はまだ実際の作品を見たことはないのですが、“実物以上”に美しく描かれた本作品はサロンに出展され、ルノワールの肖像画家としての人気を高めました
(ルノワールが肖像画家として成功したのは、こういった発注者を喜ばせる気配りも要因のひとつといわれます)



ルノワールは恋人や親しい友人たちをモデルにした作品が多いのですが、生きることを楽しむ名もない人々を描いた『舟遊びの人々の昼食は、多くの友人・知人にまじり、後に妻となったアリーヌ・シャリゴと共にジャンヌ・サマリーもモデルとなっています。


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★絵はがきルノワール『舟遊びの人々の昼食』★
1880-81年:フィリップスコレクション蔵)

画面左手前の犬を抱く女性がアリーヌ。
ジャンヌ・サマリーは右上の黒い帽子とドレスの女性。

1923年にアメリカのコレクター、ダンカン・フィリップスが125千ドルで購入し、“門外不出”といわれていた大作を2005年に東京で開催された「フィリップス・コレクション展」で鑑賞することができたのはラッキーでした。



“近代絵画の父”といわれるセザンヌは、パリでサロンに出品しては落選を繰り返していた1890年、51歳で故郷の南仏・エクス=アン=プロヴァンスに引き籠もりました。

年々頑固で人嫌いになっていったセザンヌの作品のテーマには故郷の山・サント=ヴィクトワール山や静物画が多いと思っていたのですが、「時の流れと伝統に忠実に生きた老人が好き」と語り、庭師や農民など普通に暮らす人々を多く描いています。

プーシキン美術館の所蔵品の少し前に描かれた同じ人物(庭師・ヴァリエ)の肖像画がエルミタージュ美術館にありますが、もの思いにふけるポーズは当時のセザンヌの好みだったようです。

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★絵はがきセザンヌ『パイプをくわえた男』★
1893-96年頃:プーシキン美術館蔵;旧シチューキン)

本作品は、ひどく不安定な構図で、立体をあらゆる角度から捉えてひとつの平面にまとめようとしたキュビズムの萌芽が見られるといわれる。

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★セザンヌ『パイプをくわえた男』★
1890-92年頃:エルミタージュ美術館蔵)
Photo by「週刊世界の美術館」

「面取り」による荒々しい筆致が男の顔にボリュームを与え、立体的に見せている。

背景に描かれているのはセザンヌの過去の作品。
(男の頭上にはセザンヌが繰り返し描いた「水浴」の絵、背後に置物のように描かれているのは、約20年前の静物画)


190610月、スケッチに出かけた戸外で激しい雷雨に打たれながらも制作をやめなかったため肺炎をこじらせ8日後に亡くなったセザンヌを最後まで世話していたのは庭師のヴァリエでした。

モデルとしてのポーズを長時間忍耐強く務めていた妻オルタンスとの関係は、つきあい始めてから17年後にようやく正式に結婚出来たときには既に冷え切っており、妻は息子と共にパリに滞在することが多く、セザンヌの臨終にも間に合わなかったそうです。


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セザンヌサント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール』★
1904-06年頃:ブリヂストン美術館蔵)


セザンヌが最晩年に描いた『庭師ヴァリエ』(
1906
年頃:テート蔵)2012年に開催された「セザンヌ~パリとプロヴァンス」に出品されていましたが、以前ブリヂストン美術館で見た最晩年の作品『サント=ヴィクトワール山とシャトーノワール』と色遣いが似ており、この絵のような風景にヴァリエが溶け込んでいる印象の肖像画でした。



南仏アルルで夢見ていたゴーギャンとの共同生活がうまくいかず精神が不安定になったゴッホは自らの耳たぶを切りとってしまう衝撃的な事件を起こし、病院に強制入院させられます。ゴーギャンはゴッホに別れも告げずにアルルを去り、ユートピアはわずか2ヵ月で崩壊してしまいました。

周辺住民の冷たい視線の中、アルルの療養所のインターン医師だったフェリックス・レーはあくまで親身に世話をしてくれ、ゴッホに療養所でもできるだけ絵を描くことを勧めてくれました。
ゴッホは中庭や病室、入口の並木道などを描きました。


病状が落ち着いたときに描いた作品がアルルの療養所の中庭ですが、ゴッホが入院していた病院は、現在「エスパス・ファン・ゴッホ」と名付けられた総合文化センターとなっており、絵とそっくりに再現された中庭があります。



ゴッホ「療養所の中庭」.jpg

ゴッホ『アルルの療養所の中庭』★
1889年:ヴィンタトゥール オスカー・ラインハルト・コレクション蔵)
Photo by 「週刊美術館ゴッホ」


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◆エスパス・ファン・ゴッホ◆

ゴッホ・医師.jpg
★絵はがきゴッホ『医師レーの肖像』★
1889年:プーシキン美術館蔵;旧シチューキン)


2
週間後に退院したゴッホは感謝の気持ちを表すために医師レーの肖像画を描いて届けるのですが、レーもその母親ももらった絵が気に入らず、鶏小屋の穴をふさぐために使われたとも言われています。
アルルの時代、ゴッホはお世話になった病院関係者に絵を贈ることがよくあったらしいのですが、レーに限らずもらった人たちは気味悪がって絵を適当に処分してしまったとか。



ゴッホのお医者様といえば、オルセーの医師ガシェの肖像が有名。美術品の熱心な愛好家でもあるガシェ医師はゴッホが描いた彼の肖像画を絶賛しましたが、ゴッホはオヴェールで出会ったガシェに対して心を開ききれなかったとも言われています。ゴッホの人生はこのように周囲の人間との心のすれ違いに悩み続ける日々だったようです。




最後は、プーシキンといえば絶対外せない、シチューキン・コレクションのマティスです。
2005
年は代表作の金魚を楽しませてもらいましたが、今回は本展の出品作の中で一番制作年が新しい作品が来日しました。

シチューキンは、自分の目を信じてまだ無名だったマティスの作品を37点、ピカソは50点以上も蒐集し、「トルベツコイ宮殿」と呼ばれた自宅にマティスとピカソの名前をつけた部屋を作りました
色鮮やかなマティスの作品には天井をバラ色に塗った豪華な部屋を、モノトーンのキュビズム期のピカソ作品には壁の白い簡素な部屋をしつらえたそうです。



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★絵はがきマティス『カラー、アイリス、ミモザ』★
1913年:プーシキン美術館蔵;旧シチューキン)

100年の時が経過してしていることが信じられないほど色鮮やかな作品。
ぜひ会場でご覧ください。



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★絵はがきマティス『金魚』★
1912年:プーシキン美術館蔵;旧シチューキン)

中国からヨーロッパにもたらされた金魚は、本作品が描かれた頃オリエンタリズムに満ちた観賞魚として一般にひろまりつつあったという。
マティスはモロッコ旅行でガラス鉢の中の金魚を眺める現地の人々を見てインスパイアされ、帰国後アトリエの金魚鉢を描いた静物画を4点制作した。


マティスの最高傑作のひとつである赤い部屋は、昨年の「エルミタージュ美術館展」に出品されていましたが、当初は『青のハーモニー』として描かれ1908年のサロン・ドートンヌに出品した後シチューキンに送る予定でした。しかし、展覧会直前になってマティスは唐突に色を変えて赤のハーモニーに変更してしまいました。

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★絵はがきマティス『赤い部屋赤のハーモニー)』★
1908年:エルミタージュ美術館蔵;旧シチューキン)

モロッコなどへの旅をきっかけに、イスラム美術の文様やオリエンタルな雰囲気に刺激を受けたマティスの絵は華やかさと大胆さを増した。


マティスは1954年、ニースで84歳の生涯を終えましたが、個人的にはニースのマティス美術館で見た作品よりも、パリのオランジュリー美術館の作品が好みです。
特に、1924-25年頃に描かれ、マティスの好んだ赤と大胆な装飾が特徴的な赤いキュロットのオダリスクは大好きな作品。
モネの『睡蓮の連作』で有名なオランジュリーですが、マティスやルノワールの作品も見逃せません。


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★マティス『赤いキュロットのオダリスク』★
1924-25:オランジュリー美術館蔵)

50歳を過ぎる頃多数のオダリスクを描いて名声を得たマティス。
オダリスク(トルコ後宮の女官)によってマティスの愛好者は大衆にまで広がった。


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ナル男

とてもわかりやすい文章で、それと絵も添えてあり、楽しませていただきました。
高松のものですが、横浜でプーシキン展に二階足を運びました。
絵のことは詳しくないですが、だんだん自分の好みが分かってきたところです。
ミーハーかもしれませんがルノワールのジャンヌサマリー最高です。
いい展覧会があったら足を運んででも絵画をみたいなー、と思うほどに自分の絵を見る気持ちが変わりました。
ここに書かれている文を読んでその気持ちが一層強くなりました。
金が足らん…。
by ナル男 (2013-08-29 10:33) 

ジョージ

ナル男さん、ご訪問&コメントありがとうございます。
私は美術評論家ではないけれど、作品にまつわるエピソードなどを調べるのが大好きで、美術書などは色々持っています。楽しく読んでいただけたとのこと幸甚です。

プーシキン美術館展は、東日本大震災で延期になり、気の短い私など少し諦めかけたところでの開催でした。

プーシキン美術館は、ロシアのモスクワにあるので、なかなか個人で出かけていくことはできませんが、こうやって素晴らしい作品を日本で見ることができるのは有り難いですね。
(シチューキンコレクションについて、別の記事も書きましたのでよろしかったらぜひお読みください)

地方にお住まいだと色々な展覧会や美術館に足を運ぶ機会が少ないかもしれませんが、画像が豊富な美術書を眺めるのも楽しいですよ。
by ジョージ (2013-08-29 15:35) 

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