スペインの古都『トレドの景観』を愛した画家エル・グレコ [私的美術紀行]
★トレドの景観★
2010年9月のスペイン旅行は、プラド美術館やバルセロナのピカソ美術館を見学し、イスラムの香りが色濃く漂うアンダルシア地方などを巡ってスペインの歴史と文化に触れる旅でした。
★サン・マルティン橋(トレド)★
★太陽の門(トレド)★
★ソコドベル広場から見た旧市街★
首都マドリードから向かった城塞都市トレドは、この街を愛した画家エル・グレコが生きていた16世紀のまま時が止まっているように中世の面影が残っています。
トレドでは旧市街の散策を楽しみ、エル・グレコの出世作となった「オルガス伯爵の埋葬」などの名画を鑑賞しました。
★「聖三位一体」1577-79年頃:プラド美術館蔵
Photo by 週刊「世界の美術館」
画家がトレドを訪れた36歳頃に描き始めた大作は、フィレンツェにあるミケランジェロの『ピエタ』などに構想を得たといわれ、彫刻的に表現したキリストもミケランジェロの影響とみられる。キリストの足元に描かれている頭と羽根だけの天使たちは、ラファエロの影響?
当時ヴェネツィア共和国の支配下にあったギリシャ・クレタ島出身の宗教画家エル・グレコは、ベラスケス、ゴヤとともにプラド美術館が誇る三大巨匠ですが、宮廷画家を夢見てイタリアからスペインに来たものの国王の寵愛を得られず、流れ着いたトレドでようやく画家として成功することができた苦労人。
★トレド大聖堂★
1577年、36歳のグレコは、トレド大聖堂との間で「聖衣剥奪」を描く契約を結び、前払い金を受け取り制作にとりかかりました。

★「聖衣剥奪」1577-1579年頃:
トレド大聖堂・聖具室蔵
Photo by 「芸術新潮」
グレコが3年がかりで完成させた大作は、ヴェネツィアで学んだ豊かな色彩が際だち、ローマで学んだミケランジェロ風のボリューム豊かな人体表現の躍動感と、切なく天を見上げて緋色の聖衣を剥がされる受難のキリストが融合する構図。
イタリア仕込みの斬新で芸術性の高い作品はスペイン人の篤い信仰心を満足させると思われたのですが、教会から“民衆の頭がキリストより上にあるのはけしからん”などのクレームがついて描き直しを命じられ、画料の値引きも要求されました。グレコは頑として応じなかったのですが、訴訟騒ぎとなり裁判に持ち込まれました。結局グレコは調停案を受諾することになりましたが、こうした訴訟騒ぎはその後もグレコについてまわったのです。
★「十字架を抱くキリスト」1597-1607年頃:
プラド美術館
Photo by 「プラド美術館展カタログ」
2006年に日本で開催された「プラド美術館展」に出品された本作のキリストは、外見的特徴において画家自身がトレド大聖堂のために描いた「聖衣剥奪」のキリストと同じ。
ゴルゴタの丘への途上のキリストは、重みを全く感じていないかのように木の十字架をそっと抱きしめている。偏菱形の光輪に囲まれた頭をわずかにもたげ、まるで少女マンガの主人公のように潤んだ大きな目で天を仰ぎ見る姿はとても穏やかだ。
頭上の荊冠が額にきつく食い込んだ傷口から流れる血などは写実的なのにキリストの痛みや苦しみは感じられない。女性のように華奢で爪にマニキュアされたような美しい両手が強調されている。
★サント・トメ教会(トレド)★

絵はがき★「オルガス伯爵の埋葬」
1586-88年頃:サント・トメ教会(トレド)蔵
下段には有徳善行の名士オルガス伯の葬儀の情景、上段にはその魂を受け入れる天上の栄光を描いた宗教画。埋葬に立ち会う人々は、グレコと同時代に生きていたトレドの聖職者や貴族たち。
中央左で右手を挙げ、正面を向いているのは画家自身、画面左下の少年はグレコの息子のホルヘ・マヌエルという集団人物画でもある。
1588年、2年がかりで完成させたサント・トメ教会からの依頼で制作した「オルガス伯爵の埋葬」が大変な評判となりました。
天から降った2人の聖人が埋葬を手伝ったという奇蹟を描きグレコの最高傑作といわれる作品ですが、またも画料を巡って教会側と法廷闘争になり、敗訴したグレコがローマ教皇に直訴するまでに至りましたが教皇からの返信はありませんでした。
「オルガス伯爵の埋葬」を仕上げた翌年、エル・グレコはトレド市民になる手続きをし、20室以上もある大邸宅を借りました。祭壇画・祭壇装飾や肖像画など大量の注文をこなしたグレコの50代頃は画家としての絶頂期でした。

★「トレド風景」1597年頃:メトロポリタン美術館蔵
Photo by 週刊「世界の美術館」
宗教画家グレコが60歳近くなって描いた数少ない風景画。
前景の緑の草木とアルカンタラ橋の下を流れるタホ川。遠景の不毛の地を不穏な雲が覆う宗教都市の不気味な美しさ。
★トレドの景観(タホ川と旧市街)★
三方をタホ川に囲まれ丘の上に旧市街が広がるトレドを南側の展望所から撮影した写真と「トレド風景」を比べると、グレコの絵では街のシンボルである大聖堂とアルカーサルとの距離がかなり縮められていることがわかります。また、画面中央左に描かれたアルカンタラ橋は街の北側に位置するため、実際にはこのアングルで見えません。
グレコは地理的な正確さをあえて無視して、宗教都市トレドを称えるために劇的な画面構成で「神の恩寵に満ちたトレド」を描いたといわれています。

★「無原罪の御宿り(聖母被昇天)」
1607-13年頃:サンタ・クルス美術館(トレド)蔵
Photo by 週刊「世界の美術館」
螺旋を描いて上昇する構図、明暗の効果、鮮やかな色彩の作品は晩年の最高傑作といわれる。画面下にトレド風景が描かれている。

★「ラオコーン」1600-10年頃:
ワシントンナショナルギャラリー蔵
Photo by 週刊「世界の美術館」
トロイア戦争にまつわる故国ギリシャの神話を主題にした作品の背景もトレドの風景に置き換えられている。
バロック絵画の波が押し寄せ、グレコのマニエリスム風の絵は時代遅れと見られつつあった1600年頃から注文は激減しました。
「ラオコーン」は、老いや病、訴訟続きなど自らの苦境と、衰退しつつあるトレドを画家の祖国であるギリシャ神話の悲劇と重ね合わせて描いた作品といわれています。

★「トレドの景観と地図」1610年頃:
エル・グレコ美術館蔵
Photo by BS日テレ「世界水紀行」より
エル・グレコが住んでいたといわれるアトリエや住居を復元した美術館の必見作品。
17世紀初めのトレドの地図が描き込まれているが、実際より縦長で、聖母が天使とともに降りてきたり、当時建設中のタベラ施療院が雲に乗って浮かんでいる。
1614年、グレコは愛する異郷で73歳の生涯を終えました。
エル・グレコの墓碑銘には“クレタは彼に生命を与え、トレドは彼に絵筆を与えた”とあるそうですが、35歳でトレドに移り住んだグレコは栄光と挫折を繰り返し、最後は家賃も払えないほど困窮したといわれますが、それでもグレコは死ぬまで絵筆を話しませんでした。
没後急速に忘れられていったグレコは、近代を迎えるまで知られざる画家でしたが、20世紀初頭に生まれた表現主義の動向の中で、バルセロナのモデニスモの画家たちが注目し再評価されるようになりました。ピカソも10代の中頃にトレドを訪れ「オルガス伯爵の埋葬」を見ており、「青の時代」に影響を与えたのではないかといわれています。
グレコの作品は世界各地に散逸していますが、もし再びこの街を訪れる機会があったら、エル・グレコ美術館やサンタ・クルス美術館などでグレコの作品たちと対話してみたいと思います。
☆★☆★トレドの旅行記はこちらからご覧下さい☆★☆★
日本人は“フェルメールブルー”と“引き算の美学”に惹かれる? [私的美術紀行]

★「手紙を読む青衣の女」(↑修復後と↓修復前)
(1662-65年頃:アムステルダム国立美術館蔵)

現在渋谷のBunkamuraで開催中の「フェルメールからのラブレター展」に出品されている作品は、今回の緻密な修復作業によって、画面にあふれる穏やかな光が醸し出す静謐さと、高貴さと精神性まで感じさせる独特の“フェルメールブルー”の魅力が見事に甦っている。
衣装だけでなく、右下の椅子の側面の釘など細部の表現も甦らせた修復の成果を会場で確かめることができる。
Photo by NHK映像(修復後)と絵はがき(修復前)
絵の具を保護するために使われていたニスが変色して黄ばんでいた修復前の作品と見比べると、アフガニスタン原産の高価なラピスラズリーの青絵の具『ウルトラマリンブルー』へのこだわり がよくわかります。
女性は明るい窓辺で手紙を読んでいるように見えますが、この作品よりも前に描かれた「窓辺で手紙を読む女」と違い、光を演出する窓やカーテンは実際には描かれていません。
シンプルな構図で描かれた一心不乱に手紙を読む女性。
その表情や手から彼女の高揚感が伝わってきます。
早く実際の作品の前に立ってみたい気持ちをおさえて、今回はもう少しフェルメールについて知識を深めてから美術館へ出かけたいと思います。

★天然ラピスラズリー★
東京では、6月にはフェルメール作品がほぼ同時期に上野で開催されるふたつの美術展で鑑賞できるということで、フェルメール関連情報を目にすることが多くなりました。
それにしても、フェルメールは自分も含めてなぜこれほど日本人に人気があるのか?
私は以前からその理由が気になっていました。
フェルメール人気の大きな要因として、“フェルメールブルー”の魅力は勿論ですが、画家自身の生涯に不明な点が多く神秘的なベールに包まれており、作品数も少ないこと、他のヨーロッパ古典絵画と異なって日本人にとってなじみにくい宗教画や神話などをテーマにした歴史画がフェルメールの作品には殆どないなどがあげられます。
さらに、手紙を読み書きしていたり、家事をしている市井の女性の日常風景などが作品のテーマになっており親近感と同時に私たちとの時代の隔たりを感じにくくしていることもあるでしょう。
※実は、一見日常の光景を写実的に描いたように見えるオランダ風俗画の多くは、教訓や格言に基づく寓意画なのだが、私たちがその意味をよく知らなくても十分鑑賞できる。
しかし、昨年7月にオンエアされたNHK「日曜美術館~手紙が語るフェルメールの真実」という番組のビデオを見返して、日本人の心に一番響いているのは、フェルメールの“引き算の美学”では?と思うようになりました。
幻想的な光景を細密に描くシュルレアリズムの画家サルバドール・ダリ(1904-1989)は、フェルメールの熱烈な崇拝者で、フェルメールの作品をモチーフに制作したり、「レースを編む女」の『贋作』(ルーヴルから正式に許可をとって模写)も試みています。
そのダリは、「フェルメールには、完璧なものをなおも完璧にしようとする熱狂と恐ろしい苦悩があった。彼は何度でも飽くことなく書き直した」と述べているそうです。
(小学館「西洋絵画の巨匠」より)
たしかに、フェルメールの作品は、X線で調べると、一度はバックや壁に描いた地図や小物などを塗りつぶした痕跡が認められる作品が多いのです。私が、2008年のドイツ旅行で鑑賞した2作品もそういう作品でした。

★「窓辺で手紙を読む女」
(1658-59年頃:ドレスデン国立絵画館蔵)
1742年にこの絵がコレクションに加わった時は、レンブラントの作品とされていた。
フェルメールの真作と認められたのは1858年とのことだが、第二次大戦後はソ連軍によってモスクワに持ち出され10年後に旧東ドイツに返還された波乱の人生(?)を歩んでいる。

★この作品をX線で調査すると、壁には、“恋文”を暗示するキューピッドが描かれていた痕跡(青いイラスト部分)があるという。
Photo by NHK「日曜美術館」

絵はがき★「真珠の首飾りの少女」
(1662-65年頃:ベルリン国立絵画館蔵)
鏡を見ながら、首飾りを着けようとしている少女が描かれているが、壁に架けられた鏡が小さすぎる気がするし、そもそも少女の視線は鏡を覗いているようでいて宙を漂っている?

★この作品も壁に飾られていた地図を塗りつぶしている。
消した地図を合成した画像と比較してみると、地図がないバージョンの方が少女の可愛さが引き立つ?
Photo by NHK「日曜美術館」
17世紀のオランダでは、ひとむかし前の地図をインテリアとして飾るのが流行していた。といっても古地図ではなく、今風の室内装飾用アレンジしたものだったらしい。
さて、「日曜美術館」に出演されていた東北大学の尾崎彰宏教授は、「フェルメールは、複雑なものをいかに単純化するか、単純さを通して時間の長さや空間を感じるように仕組んだ」とコメントされています。
また、フェルメールの「デルフトの眺望」に感動して実際にデルフトまで足をのばしたという染織家の志村ふくみさんは、「そぎ落とすことで内容がふくらみ、品格がある。 “引き算の美学”は日本の茶の湯や和歌などにも共通する」と語っています。

絵はがき★「デルフトの眺望」
(1659-60年頃:マウリッツハイス美術館蔵)
実物を見なければ感じられないという深みのある空の青や川の水面にも『ウルトラマリンブルー』が用いられている。『世界で最も美しい風景画』はオランダに出向いてでも絶対見たい作品!
17世紀のデルフトは、東方交易を独占していたオランダ東インド会社の拠点のひとつとして巨万の富を集めていた。フェルメールにしては珍しく大型のこの作品は、19世紀に画家が再評価される契機となった作品といわれる。必ずしもデルフトの実景に忠実に描かれているのではなく、いわば「理想化された都市の景観」。


Photo by NHK「日曜美術館」
★1675年、享年43歳で亡くなったフェルメールは、夭折した子供ふたりが埋葬されていたデルフトの旧教会に埋葬された。
フェルメールの没後、11人の子供(内10人が未成年)が遺された。画家の死の翌年、妻のカタリーナは自己破産を申請し、生物学者で顕微鏡の製作者レーウェンフックが遺産管財人に任命された。
ところで、『ウルトラマリンブルー』にこだわったフェルメールが生まれ育ったデルフトには、交易都市ならではの特産品があります。

Photo by NHK・TV映像
★デルフト焼きは、17世紀初頭に人気の高かった白地に青色の彩色を施された中国や日本の磁器をオランダ風に再現したことから始まったもの。
このデルフトブルーも日本人にはおなじみの色遣いだが、フェルメールもまたこの青に魅せられた一人だったという。
《おまけの情報》

★「真珠の耳飾りの少女」
(1665-66年頃:マウリッツハイス美術館蔵)
この作品も最近の修復で鮮やかな『ウルトラマリンブルー』が甦っているが、上の画像のように後世の修復でしみと誤って修復された口元が元に戻されたそうだ。この画像では、わかりにくいが、美術館で鑑賞の際は、少女の口元に注目してみたい。
「真珠の耳飾りの少女」をモチーフにした小説や映画の影響で、少女はフェルメール家の女中と思いこんでいる人が多いかもしれないが、肖像画の形をとった“トローニー”と呼ばれる風俗画に分類される。画家の想像で描いたのではなくモデルはいたと思われるが、モデルを描写するのが目的ではないのでおそらくその人物をそっくりには描かなかったのでは、と朽木ゆり子さんは述べている。
輪島塗・箱瀬淳一先生の赤い漆器とヘレンドのカップ&ソーサー [お気に入り]
都会のウサギ小屋のジャングル部屋に住んでいる私ですが、“ふだん使えて・見て美しいお気に入りの生活の器”で彩りをそえ、心が潤うような気分を味わうひとときがあります。
それは、日本の伝統工芸・輪島塗の赤い器とハンガリーの名窯ヘレンドのカップ&ソーサー。

★箱瀬淳一先生の赤い漆器★
漆の掻き子さんから木地師・漆の精製
いろんな人たちが一緒になって出来上がる
漆製品には、
大きな自然の力がある
使えて・そして見て美しい、
そんな物ができればなーと
いつも考えながらの仕事が続いています
(箱瀬先生)

★ヘレンドに魅せられて★
1826年に創立された窯は、ブダペストから西南へ約120キロのバラトン湖北部にある小さな村にある。
約3,500人ほどの村人の大半がヘレンドの本社や工場・博物館などで働いている。
絵付けはすべて手作業で、約650人の絵付け師の中でマスターの称号を持つ職人は25人ほどとか。
マスターになるには長い年月を要し、厳しい試験があるという。
★我が家の食卓の頼れるエース「赤いお椀」★

★ちらし寿司★

★冬瓜のあんかけ★

★牛肉ととろろの雪見丼★
輪島塗は、このブログでも以前ご紹介したことがある箱瀬淳一先生の赤い漆器のお椀ですが、本当にふだんづかいの食器として、我が家では一年中活躍しています。
「馬子にも衣装」とはこのことでしょうか。
もうひとつ、ハプスブルク家御用達でオリエンタル調の図柄が多いことでも知られるヘレンドは、銀座にある私のお気に入りのカフェで使われているカップ&ソーサー。
このお店には、高価なヘレンドがたくさん揃っていて、大人数で出かけてもそれぞれ異なるデザインのカップやお皿に出会えるのがとても楽しみなのです。
高価な食器を自分でコレクションすることができなくても、あれこれ楽しませてもらえる場所があるというのはありがたいこと。

★「ヴィクトリア・ブーケ」のプレート:
ロンドンの万国博でヴィクトリア女王の目にとまりヘレンドの運命を大きく変えたデザインといわれている。
蝶と枝花模様の色彩豊かで華やかな絵柄のお皿に載ったケーキが運ばれてきたときは、おみくじで「大吉」をあてたような気分

★「アポニー」のカップ&ソーサー:
ヘレンドの東洋的要素を採り入れたシリーズの代表格「インドの華」をアレンジしたデザインは7色のバリエーションがある
《四季を彩る赤いお椀》







箱瀬先生は、高級ジュエリーブランドのV.C.アーぺルとコラボレーションされたり、日本の伝統工芸である輪島塗がモダンになる革新的な試みを常になさっているのですが、昨年、ヘレンドの作品の中で漆器を展示されたことをこの最近知りとても驚きました。
18世紀のヨーロッパの王侯貴族の間では、蒔絵が大人気。漆器を加工した家具や調度品が流行したといいます。ハプスブルク家出身のマリー・アントワネットも、母マリア・テレジアの遺品として約50点の日本製漆器を相続しています。
ヘレンドの数ある絵柄の中でも日本人に特に人気の「ウイーンのバラ」は、ブダペストでは「ハプスブルクのバラ」と呼ばれているそうです。そのヘレンドと箱瀬先生の漆器を一緒に展示するという素晴らしい環境で至福のひとときを過ごす機会を逃してしまったのはとても残念です。
さて、お正月が終わったばかりなのにお花見の話というのも気が早すぎますが、以前、箱瀬先生に特注で作っていただいた『私だけのお重』を今年こそは使わなくては・・・・

画廊での個展でみかけた、“へぎ板に赤い漆を塗って木の風合いをいかした艶のあるお重”(トップの写真)を、花見弁当にも持っていけるようにこぶりな二段重ねのお重にアレンジしていただいた漆器です。
へぎ板というのは、丸太の状態から薪割りのように割るだけで薄い板状にしたもので、新潟名物の「へぎそば」はへぎ板で作られた箱に入っているのでその名がついたようです。
のこぎりなどで木の繊維を断っていくのではなく、木が割けたいところで割けつつ、板の状態にするのは高度な技術が必要とか。木目が美しく、立体的にあらわれるのが魅力で、同じ木目のものはふたつとないのでまさに「オンリーワン」商品です。
昨年は、東日本大震災後の自粛ムードでとてもお花見気分になりませんでしたが、見るだけでなく使ってこその生活の器。
蒔絵の漆器は手入れが面倒と思う私は結婚祝いにいただいた蒔絵のお椀揃いを何十年も食器棚の奧で眠らせたままです。しかし、箱瀬先生は私のわがままなお願いを快諾して使いやすいサイズのお重を作ってくださったのですから眠らせおいてはばちがあたりますね。
思い思いのお花見弁当を持ってゆっくり桜を愛でる平和なひとときを楽しめる日が被災地の方々にも訪れることを心から願っています。
やまとなでしこ穂希ちゃん、FIFA年間女子最優秀賞おめでとう! [サッカー]
★FIFAワールドカップ優勝決定直後★
観客席の母を見つけた?
(Photo by NHK中継画像より)
スイスで開催されたFIFA(国際サッカー連盟)の2011年表彰で年間最優秀女子選手に日本代表の澤穂希選手が選ばれました。
FIFAバロンドール(世界年間最優秀選手)には、3年連続でFCバルセロナのメッシが選ばれていますが、アジア勢が受賞したのは男女を通じて今回が初めてです。授賞式でトロフィーを抱えてメッシと並ぶ着物姿の澤選手はとても素敵でした。
★3年連続受賞のメッシは、FCWCでも輝いていた★
★最優秀ゴール賞は、ブラジルのネイマール★
FCWCでは悔しい思いをした彼の成長した姿をもう一度生で観たい!
サッカー界で最も権威のあるこの賞は、各国代表の主将と監督、仏サッカー専門誌が選んだ記者の投票により受賞者が決まりますが、女子部門は2001年に創設されています。
昨年7月のワールドカップ決勝戦でPK戦まで行く死闘を繰り広げた対戦相手アメリカのワンバック選手も今回、澤選手と共に最終候補になっており、授賞式で澤選手を祝福する姿がみられました。
また最優秀女子監督には日本代表の佐々木則夫監督が選ばれ『なでしこジャパン』のダブル受賞となりました。
(もうひとつ、日本サッカー協会としてフェアプレー賞も受賞としていますね)
★「徹子の部屋」出演時の穂希ちゃん★
サッカー用語に詳しくない徹子さんの質問を笑顔でやさしくフォロー
澤選手は、自他共に認める「白い歯がきれい」な女性
(以上3点のPhoto by「徹子の部屋」より)
《なでしこリーグでも終了間際に意地の同点ゴール》
浦和レッズレディースVS INAC神戸:2011.10.30
大宮のスタジアムには、応援にかけつけた澤選手のお母様の姿がありましたが、声をかけてきたファンの女の子にも丁寧に応対されていました。
前半の失点で敗色濃厚だった試合終了間際、CKから澤の電光石火の同点ゴール。
あまりうれしかったので自分でもビックリしたという”どすこい?”思いがけないポーズがありましたが、シャッター間に合いませんでした(涙)
★試合前のアップ★
★1-1の引き分けで、連勝はストップも負けなし★
★試合後、スタンドの声援に応える澤と川澄★
昨夏のワールドカップ優勝以降日本中になでしこフィーバーが巻き起こり、国民栄誉賞、秋の園遊会からテレビ番組・各種イベントのゲスト出演、CM出演など目の回るようなスケジュールをこなしながら五輪予選突破、なでしこリーグ優勝、全日本女子選手権優勝と結果を出し続けている澤選手。
これからもますます注目されると思いますが、この勢いでロンドン五輪でも金メダルを目指して日本の女子サッカー人気を定着させて欲しいと思います。
★なでしこジャパンを応援する「楓ちゃん」★
サッカー選手を目指す女子がもっと増えますように!
(Photo by NHK中継画像より)
2012年の東京はフェルメール展のビッグ・イヤーに・・・・美術展情報 [私的美術紀行]

絵はがき★「真珠の耳飾りの少女」★
1665-66年頃
マウリッツハイス美術館蔵
ありふれた日常生活をテーマにした風俗画でありながら、画面にあふれる穏やかな光が醸し出す静謐な世界を描いた画家フェルメールの作品が日本で初めて公開されたのは1968年。
それから1999年までに公開された作品はのべ6点(重複を除くと4点)のみでしたが、2000年の「フェルメールとその時代展」以降、2009年までの10年間にのべで18点(重複を除くと15点)と、全作品の約半数の作品が来日しているそうです。
フェルメールは近年日本をはじめとして世界中で人気が急上昇し、美術展の“キラー・コンテンツ”になっていますが、なんと2012年の東京は現在3点の作品を公開中の「フェルメールからのラブレター展」に引き続き、ほぼ同時期にふたつの美術館でフェルメール作品を目玉にした展覧会が開催されるというのですからまさにフェルメール展のビッグ・イヤーです。
◆フェルメールからのラブレター展◆
2011.12.23―2012.3.14
(Bunkamuraザ・ミュージアム)
絵はがき★「手紙を読む青衣の女」★
1662-65年頃
アムステルダム国立美術館蔵
ゴッホが手紙の中で「とても美しい身重のオランダ婦人」と書いているが女性の服装はマタニティ・ウエアではなく、当時の最先端モードだという。
そういえば、ロンドンで見たヤン・ファン・エイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」のファッションも、私はかなり最近までマタニティ・ウエアだと思っていたが違っていた。
このオランダ・モードの特徴は、コルセットが廃れハイウエストのスカートの下には成形下着をいれて膨らませていたそうだ。
絵はがき★「手紙を書く女」★
1665-66年頃
ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵
フェルメールの作品にしばしば登場するファーの縁取りが付いた黄色い衣装は、フェルメールのお気に入りのファッションらしく彼の没後作成された遺産目録に「白い毛皮の飾りが付いた黄色のサテンのマント」という記述があるとのこと。
絵はがき★「手紙を書く女と召使い」★
1670年頃
アイルランド・ナショナル・ギャラリー蔵
◆フェルメール「真珠の首飾りの少女」in ベルリン国立美術館展◆
~学べるヨーロッパ美術の400年~
2012.6.13―9.17
(国立西洋美術館)
絵はがき★「真珠の首飾りの少女」★
1962-65年
ベルリン絵画館蔵
フェルメールが描いた6ー7点の黄色い衣装の女性像の中でも際だった傑作と言われている作品。
当初は椅子の座部にリュートが置かれ、後の壁には地図が掛かっていたそうだ。
ベルリン美術館とは、ベルリン市内にある20以上の美術館の総称。
その礎はプロイセン王家の収集品をもとに19世紀前半に築かれた。
15-17世紀の西洋絵画は「絵画館」に、19世紀のドイツやフランスの名画は「旧国立美術館」で展示されているのでベルリンで見学するときは要注意。
2008年のドイツ旅行で訪ねた「ベルリン絵画館」は、複数の文化施設からなる文化フォーラム内にある。
フェルメールの2作品を目当てに訪ねた絵画館にある巨匠「クラナハ」の「若返りの泉」は必見絵画!
◆マウリッツハイス美術館展◆
(「真珠の耳飾りの少女」来日決定)
2012.6.30―9.17(東京都美術館)
2010年から改修工事でクローズしていた東京都美術館のグランドオープンを飾るのは、オランダの至宝「真珠の耳飾りの少女」をはじめ、17世紀オランダ・フランドル絵画を代表するレンブラント、フランス・ハルス、ルーベンス、ヤン・ブリューゲル(父)などの作品が来日する大型企画!
フェルメール真筆の作品総数は30数点といわれ(37点など諸説あり)ますが、日本でフェルメールの作品が見られる美術展が集中開催されるのは西洋美術ファンとして大変うれしいことです。
日本で開催された美術展にこれまで出品された作品リストは以下の通り。
私自身は、海外の美術館で鑑賞した作品を含めてこれまでに実物に会えた作品は20点ですが、今年3点が新たに加わることになります。
個人的に鑑賞するのが楽しみな作品は、青いターバンの少女”が印象的な「真珠の耳飾りの少女」ですが、2008年に訪問したベルリン絵画館から出品される「真珠の首飾りの少女」も必見です。
《これまでに来日したフェルメール作品リスト》
(来日順)
★「ディアナとニンフたち」(1655-56年頃:
マウリッツハイス王立美術館蔵)
★「窓辺で手紙を読む女」(1658-59年頃:
ドレスデン国立絵画館蔵)
★「真珠の耳飾りの少女」(1665-66年頃:
マウリッツハイス王立美術館蔵)
★「手紙を書く女」(1665-66年頃:
ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)
★「天秤を持つ女」(1662-65年頃:
ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)
★「地理学者」(1669年:
シュテーデル美術館蔵)
★「リュートを調弦する女」(1663-65年頃:
メトロポリタン美術館蔵)
★「聖女プラクセデス」(1655年頃:
個人蔵)
★「恋文」(1669-71年頃:
アムステルダム国立美術館蔵)
★「絵画芸術」(1666-68年頃:
ウイーン美術史美術館蔵)
★「牛乳を注ぐ女」(1658-59年頃:
アムステルダム国立美術館蔵)
★「マルタとマリアの家のキリスト」(1655年頃:
スコットランド・ナショナル・ギャラリー蔵)
★「小路」(1658-60年頃:
アムステルダム国立美術館蔵)
★「ワイングラスを持つ娘」(1659-60年頃:
アントン・ウルリッヒ美術館蔵)
★「ヴァージナルの前に座る若い女」(1670年頃:
個人蔵)
★「手紙を書く女と召使い」(1670年頃:
アイルランド・ナショナル・ギャラリー蔵)
★「レースを編む女」(1669-70年頃:
ルーヴル美術館蔵)
今年もパンダ全力応援、よろしくお願いしますパン [パンダ]

★シンシン♀★
色白で丸顔の美人パンダ
日本の食事がおいしくて、ついつい食べ過ぎちゃう?
カメラ目線で「ハイ、ポーズ」
★リーリー♂★
放飼場を走り回ったり、木に登るアクティブなイケパン
観客から離れたお気に入りの場所にいることが多く、
なかなか近くに来ないカメラマン泣かせ?
上野動物園にパンダが復活し、美術館とパンダをセットで楽しめる上野がマイブーム・スポットになりました。
小春日和の年末、ゴヤ展の鑑賞とあわせてパンダさんたちの近況をチェックしてきました。
屋外放飼場に木製の遊具が設置され、パンダたちの動きのバリエーションが増えましたが、屋外にも名札が掲出され警備員の誘導も観客の少ないときはソフトになっているようです。
パンダの飼育環境や観覧環境が以前より改善されており、平日ならあまりストレスを感じる事なくパンダ・ウォッチングが楽しめそうです。
《最近のシンシン》 2011.12.21撮影
★パンダは丸っこいから可愛い・・・・★
ただいま体重125キロ
マイペースだけどお仕事はきっちりやる方です
★お客様とお話しながら?食べるのが好き★
★日本のリンゴはみずみずしくて美味しいですね★
★飼育員さん手作りの「パンダダンゴ」も美味だわ★
中国に居たときから食べ慣れたレシピの味らしい。
実はシンシンは甘い物が苦手な女子なのだ
★主食のタケは、よく吟味して食べなきゃ・・・・★
シンシンは、タケの種類や質によって食べる部位をこまめに変えるグルメなパンダ
※現在4種類のタケがパンダに供されていますが、食べ残しなどは、ご近所仲間(?)のぞうさんがきれいに食べてくれるから食材のムダはありません
《最近のリーリー》 2011.12.21撮影
★自分の縄張りをパトロール中?★
ただいま体重136キロ
地面に腹這いになってごろごろするのが大好き
お腹はいつも茶色く汚れているけど気にしない・・・・
★木登りしたり高い処に登るのが好き★
(フェンス越しの)シンシン、何してるのかな?
★物を思う多感な?リーリー★
★一心不乱にタケを食べるリーリー★
慎重派のリーリーは、タケを食べる時、鼻を近づけてにおいを嗅いでから食べる
パンダの繁殖プロジェクトを支援するために今春設立された『ジャイアントパンダ保護サポート基金』には私も微力ながら協力していますが、施設で飼育されているパンダの総頭数が全世界で330頭(2011年)になったとのことで、今後はパンダの個体数をただ増やすのではなく、遺伝的多様性を保証できる個体の繁殖がパンダの繁殖にも求められます。
パンダを愛する日本の皆様、継続的なサポートをどうぞよろしくお願いいたします。
《上野のパンダからのお願い》
◆撮影時は、カメラのフラッシュが自動発光しないようにご注意下さい
◆観覧者が多く混み合っている時は、譲り合ってのご観覧を。
後方でご覧になるお客様やお待ちになっている方への配慮もお忘れなく!
(特に、パンダと一緒の記念撮影は、他のお客様のご迷惑になることもあります)
★かわいいパンダたちとの記念撮影ができるスポット★
★ジャイアントパンダ保護サポート基金★
パンダ舎の近くにある募金箱へのお立ち寄りもよろしく!
★表門横には、WWFの募金箱★
プラド美術館所蔵「ゴヤ 光と影」・・・・画家ゴヤが見つめた『スペイン王家夢のあと』 [私的美術紀行]

上野の国立西洋美術館で開催中のプラド美術館所蔵「ゴヤ 光と影」展を見てきました。
ゴヤはベラスケスと共にスペインが誇る二大宮廷画家の一人ですが、着衣のマハ」と「裸のマハ」という作品が有名な割に、日本では彼の画業についてはあまり知られていないように思います。
17世紀というスペイン栄光の時代に宮廷画家だったベラスケスと違い、18世紀後半から19世紀初頭、ナポレオン侵略によるスペイン激動の時代に生きたゴヤの絵は、人間の醜い面や不安を表現し、人間の不条理な世界を描き出したところに魅力があるといわれています。
今回のゴヤ展は、プラド美術館から貸し出された油彩画・素描を中心に、国立西洋美術館などが所蔵する版画を加えてゴヤの芸術の様々な側面が紹介されています。
私は、プラド美術館を2度訪れており、油彩画の大作は殆ど見ていますが、これまであまりよく知らなかった版画作品をまとめてみることができ、社会と人間の諸相を光と影の交錯のもとに捉えるゴヤの創造力の魅力を改めて実感することができました。

★「カルロス4世とその家族」1800-01年★
Photo by「迷宮美術館」
国王を押しのけて中央に立つ王妃をはじめ、豪華な衣装に身を包んだ彼らの表情のなかに王家の不穏な人間関係が如実に描き出された作品。人間観察の達人は、モデルの心の機微を冷徹な目で照らし出し、人間をめぐる悲喜劇を貪欲に描き出した。
今回は、この作品の人物下絵として描かれたフランシスコ・デ・パウラ・アントニオ王子(王妃と王の間)の肖像画が展示されている。
★プラド美術館北側のゴヤ門にある「ゴヤ像」:
足元には、彼の作品の登場人物たちが刻まれている
正面玄関のあるベラスケス門にはスペイン絵画の巨匠ベラスケスの銅像

絵はがき★「日傘」1777年★
ゴヤの風俗画の中でも私的にイチオシのこの作品は、エル・パルド宮殿オーストリア皇太子夫妻の食堂の扉に掛けるタペ゚ストリーの下絵として制作された。
ゴヤは、王室タペストリー工場の原画の仕事での評価を足がかりに王立美術アカデミー会員に推挙され、宮廷首席画家に就くなど出世欲も旺盛だったが、当時の風俗を深い洞察力で描いた原画の数々は独自の画風を培った。
本作品はフランスロココ様式の優美さや繊細さをとりいれながら、スペインの陽気で牧歌的な庶民の姿をいきいきと描写しているように見えるが、フランス風の衣装を着けた女性に日傘を差し掛けるマホ(伊達男)と女性の間には大きな身分の隔たりがあり二人の視線が交わることはない。

★「マハと色男たち
(マハとマントで顔を覆う男たち)」1777年★
Photo byプラド美術館カタログ
道端に座る男からちょっかいをだされた女性の連れがクレームをつけようとするが、「男には仲間がいるから」と男性を制する女性というストーリーらしい。
ちなみに“マハ”とは、当時のシティ・ライフを自由気儘に楽しんだ粋な下町姐さんのこと。
スペインの保守的な社会で、男性から庇護されるべきか弱い存在とされてきた貴婦人たちも、自らの自立への願望を表すために自立したマハたちのファッションを真似しはじめたという。

★版画集『ロス・カプリーチョス(気まぐれ)』
43番「理性の眠りは怪物を生む」1797-98年★
(国立西洋美術館蔵)
Photo by「週刊 西洋絵画の巨匠 ゴヤ」
1799年に出版された80点からなるゴヤ最初の風刺的な銅版画集は、あからさまな政治批判、社会批判を含んだ過激な内容が問題となった。宮廷画家という立場が危うくなることを恐れたのか、世に出回る前にゴヤ自身が回収したといわれる。
普段日本国内でゴヤの油彩画をまとめて見るのは難しいのですが、多くの美術館がゴヤの四大版画『気まぐれ』『戦争の惨禍』『闘牛技』『妄』を所蔵しており、ゴヤのおもな版画を国内ですべて見ることが可能です。


(上)絵はがき★「裸のマハ」1797-1800年★
(下)絵はがき★「着衣のマハ」1800-07年★
いかなる神話性も排した生身の女性の裸身は、誰に依頼され、何を意図して描いたのか?今でも謎の多いこの作品を描いたゴヤは、1815年、カトリックの異端審問所(宗教裁判所)に召喚され、糾弾された。
モデルは不明だが、ふたつの「マハ」はナポレオン軍の侵攻で失脚した宰相ゴドイ(王妃の愛人だった)の邸宅から発見されたことからゴドイが絵の依頼主とされる。

絵はがき★『素描帖C』
41番「同じ夜の3番目の幻影」1804-14年頃★

★「1808年5月3日
(マドリード、プリンシペ・ピオの丘での銃殺)1814年★
Photo by「週刊 世界の美術館」
ゴヤの戦争画の目的は、罪のない市民を巻き込む戦争がいかに残虐なものか、戦争の恐怖と悲劇という不条理を見る人に訴えかけることにあるといわれる。

絵はがき★「自画像」1815年★
異端審問所に召喚された69歳の画家の苦しみに満ちた幻滅の思いの表情は、自らの忍耐を表現しようとしているようにも見える。
★「我が子を喰らうサトゥルヌス」1821-23年★
Photo byプラド美術館カタログ
フランス革命によりスペインも動乱期を迎え、王政はいったん崩壊するがナポレオンの失脚によってフェルナンド7世が復位。しかし、自由主義者を弾圧する恐怖政治となり、スペインの国情は暗転。
70歳を過ぎたゴヤは、人間不信と強い厭世観に襲われ、「聾の家」と呼ばれた別荘の壁に14枚の「黒い絵」を描いた。(46歳の時、重病に陥り聴覚を失っている)
彼の死後、漆喰の壁からカンヴァスへ移された連作をおさめたプラド美術館の「黒い絵」展示室に入ると、部屋の壁を埋め尽くしたたくさんの「黒い絵」からゴヤの心の叫び声が聞こえてくるような気がして、何とも言いようのない恐怖感に襲われたことを今でも覚えています。

絵はがき★『素描帖G』
53番「蝶の牝牛」1825-28年頃★
1824年、自由派への迫害を恐れたゴヤは病気療養を表向きの理由にフランスのボルドーへ旅立つ。
ボルドーでも彼はデッサンや当時の新技法リトグラフを用いた版画集『ボルドーの闘牛』を制作するなど最後まで探求心は衰えなかったという。
ゴヤは、1828年半身不随で床に就き、4月16日、82歳の生涯をボルドーで終えました。
内戦にあけくれた最愛の故国スペインにゴヤが埋葬されたのは、死後91年後のことでした。
今回のゴヤ展は、目玉作品の「着衣のマハ」や「日傘」などの風俗画以外は地味な作品が多いのですが、私が初めてプラド美術館を訪問したときに入手した日本語版のカタログ本に掲載されている作品が7点も来日しています。
素描や版画などの小品が多く、タイトルや作品解説が鑑賞の手がかりになるので、会場が混み合いそうな日時を避けて鑑賞されることをオススメします。
夢の彼方へ・・・・FCバルセロナが世界の頂点にたった瞬間に立ち会う幸せ [サッカー]
★決勝戦開幕セレモニー★
3年ぶりの日本開催となった今大会は富士山がモチーフ
FIFAクラブワールドカップジャパン2011の決勝戦を横浜国際競技場で観てきました。
スペインサッカーが好きで、FCバルセロナが大好きな私と娘は、バルサが今年の欧州CLで優勝した時からこの日を待ちかねていたのです。
決勝戦の相手は、2014年のW杯ブラジル大会に向けて、ブラジルを牽引するといわれる19歳の若きエース・ネイマール擁するサントスFC。
★スタジアムの正面入場ゲート★
決勝・準決勝進出チームのバナー掲出:
大会開催国枠で出場の柏レイソルは、PK戦に破れて4位になった
★FCバルセロナのスタメン★
★同控え組★
骨折のため既に帰国したD.ビジャの名前も
私と娘は、数年前来日したバルサの試合も生で観ていますが、観光気分の親善試合でも彼らは別物に感じました。
今回はその時来日しなかったメッシと、セスクをガチンコ勝負で観られるのがとても楽しみでした。
現在のバルサは、スペイン代表を多数擁しながら、カンテラ育ちで自前で育成した選手であるアルゼンチン代表のメッシ中心のチームを完成させていると言われます。
準決勝でJリーグチャンピオン柏に格の違いを見せつけた南米王者サントスは、バルサの攻撃の起点となるシャビとイニエスタを抑えてエース・メッシを封じ込められるのでしょうか。
★アップ中のバルサ・スタメン組★
メッシは、手前の輪、左から2人目
★同じくサントス、注目のネイマールは右から4人目★
★まもなく選手入場★
奧のネイマール(白ユニ)の表情はやや緊張美味?
左端は、バルサのアビダル
アビダルは、今春、肝臓腫瘍の摘出手術を受けましたが驚異の快復力で欧州CL決勝戦に出場。監督やチームメイトの配慮で主将のプジョルにかわって優勝杯を掲げました。
この日もバルサ・イレブンは試合中の骨折により無念の帰国となったビジャを励ますメッセージTシャツを着用して入場。バルサ・ファミリーの結束力は素晴らしいと改めて感じます。
★選手&審判入場★
取材カメラマンたちの密集度合いは半端じゃない
(反対側も同じ状況)
★サントスFCのゴール裏★
ブラジルから7日間で60万円という応援ツアーなどで、7千人のサポーターが駆けつけたサントスFC。
駅からの道すがらやスタジアム各所で賑やかに歌っていたブラジル勢に対し、バルサ側のゴール裏は静か。
日本人などのバルサファンが圧倒的に多くバルササポーターは約千人程度?
★17分、メッシの技ありゴールでバルサ先制★
★24分、シャビの追加点★
★45分、こぼれ球をセスクが押し込み3点目★
今季、アーセナルから念願の移籍を果たしたスペイン代表セスクは、16歳で渡英するまでバルサの下部組織にいたこともあり、すっかりバルササッカーに溶け込んでいるように見えました。
移籍金の不足分を自腹で負担してでもシャビやイニエスタとプレーしたいという気持ちはよくわかりますね。
試合開始早々は、準決勝の勢いそのままに対等で戦えそうに思えたサントスですが、徐々にバルサの組織力に試合を支配されるようになり、前半終了時点で3点差。
ベスト布陣で真っ向勝負をしかけたサントスサイドは意気消沈かと思いきや、半ばヤケ気味の応援チャントが最後までスタジアムに響いていました。
バルサファン的には、自陣に引きこもらず、個の力を信じて真っ向勝負を挑んでくれたサントスの監督に感謝です。(2006年の大会で、バルサは0-1でブラジルのチームに負けて悔しい思いをしたことがある)
★82分、メッシがダメ押しのゴール。4-0で試合終了★
ボール支配率71%のバルサは、ネイマールやガンソらにまったく仕事をさせない完璧な勝利を収め、この大会2度目の優勝を飾った。
★勝利のダンスPart1★
★個人表彰で、FIFA会長らにねぎらわれるネイマール★
先頃、サントスと2014年まで契約延長し、今後もブラジルでプレーすると表明しているが、個人的にはスペインリーグでネイマールを観たい!
★お約束通り?大会MVPはメッシ★
次回も日本開催なので、TOYOTA的には名古屋グランパスの大会出場を熱望?
(2013・14年大会は北アフリカのモロッコでの開催が決定)
★表彰式のクライマックス★
花火が打ちあげられ、金色の吹雪が舞う
★世界チャンピオンの記念撮影★
★笑顔が弾けるセスクとイニエスタ★
★声援に応えて場内一周★
★勝利のダンスPart2★
スタッフも一緒にバルサの応援歌にあわせて踊る
私たちがこの大会の決勝戦を観るのは今回で3度目になりますが、最後まで攻撃の手をゆるめないバルサは本当に強すぎました。
夢の対決で、世界最高レベルの選手の実力を目の当たりに見ることができ、サッカーファンとして本当に満足できたひとときでした。
決勝戦の高額なチケット代は年金生活者は勿論、未来の日本代表をめざすサッカー少年を持つ親御さんたちにとっても負担が大きいと思いますが、TVの中継画像からは見えてこない”質の高いプレー”をみる喜びは何ものにも代え難いと思います。
日本のTV映像は、”グランド全体を俯瞰する映像が少なすぎる”と海外では低い評価だったように聞きます。スター選手のアップ映像を見たい向きもあるでしょうが、サッカーファンがみたいのはスター選手の顔ではなくプレーそのものではないでしょうか。
私たちの席は、メインスタンドではないけれど、グランド全体が俯瞰できる見やすい席だったので、バルサのパス回しや守備の特徴をしっかり観察することができました。
次の目標は、バルサの本拠地、カンプノウ・スタジアムでリーガ・エスパニューラの試合観戦?
★カンプノウの両軍ベンチは思いの外近い★
★ピッチに出る前の選手が祈りを捧げる礼拝堂★
(2010.9撮影)
寒い冬の午後は、ポットでお茶を楽しみたい・・・・LOPCHU Tea or Chinese Tea? [お気に入り]
この数年、12月はそんなに寒くならないことが多いし、今年も季節はずれの暖かい秋に身体が慣れきっていたところ、急に真冬並みの凍えるような寒さになりました。
あわててカシミアのセーターを探したり、エアコンをつけたり一気に冬支度です。節電モードの中で電力需要も急増し、既に94%まで達した日もありますが、今年の冬は地球温暖化の影響やオール電化生活で寒さへの抵抗力が衰えている私たちには厳しい冬になりそうな予感です。
LOPCHU TEA GARDEN YATSUGATAKE
:山梨県・北杜市長坂町
次回は、テラスでお茶を!
先日、友人と一緒に信州に出かけた帰りに、「ロプチューティーガーデン八ヶ岳」というティーハウスに立ち寄りました。
信州・原村のリングリンク・ホールでご一緒する原村仲間の方がインドやスリランカから厳選した紅茶葉を輸入販売しているのですが、八ヶ岳山麓・清春美術館近くにあるお店のカフェスペースでは、ポットサービスのLOPCHU Teaや焼き菓子などが楽しめるのです。
私のお気に入りは、LOPCHU のGolden Orange Pekoe
手軽なティー・バッグは可愛いパッケージ
フランス流のKUSUMI TEAなどのフレーバーティーが好きで、紅茶も中国茶も色々な種類のお茶を楽しむ私ですが、ダージリン地区にあるLOPCHU茶園のこうばしい焙じ香とフルーティな香りが特徴の紅茶は、数年前からお気に入りです。
東京・麹町にある某有名フランス料理店でも採用されているシンプルだけど深い味わいの紅茶は、毎日飲まずにはいられないほどのヘビーユーザーも結構いると聞きました。
「ロプチューティーガーデン」オリジナルデザインのポットカバー
これからの季節、紅茶マニアにはマストアイテム
ティーポットで紅茶を飲む時、寒い時期は特に欠かせないポットカバーですが、「ロプチューティーガーデン八ヶ岳」でオリジナルデザインの素敵なカバーをみつけました。長めに抽出してもマイルドな渋みのLOPCHU Teaは、ストレートで飲んでもミルクをいれても楽しめるダージリン。ポットにお湯をたっぷりいれて、午後のティーブレイクをゆっくり楽しみたいと思います。
※LOPCHU Tea商品についての詳細は、『紅茶専門店・ロプチューティーガーデン』のサイトをご覧下さい。紅茶葉やギフトセットは通信販売でも買えます。
<オマケの?情報>
先日の台北旅行で、「CHA-CHA THE’」というスタイリッシュなティーハウスをみつけました。
台湾を代表するファションブランドがプロデュースし、ドイツ人デザイナーが手がけたというインテリアはシンプル&モダン。
高級住宅街の中にあり、茶器や茶葉の販売もしている広々としたお店で、私たちはスイーツなどが2品選べるデザートセットをゆっくり楽しみましたが、ティーポットカバーが使われなかったのはちょっぴり残念でした。
演じられた自画像・・・・ドイツ・ルネサンスの巨匠、デューラーは本当にイケメン? [私的美術紀行]
15-16世紀に活躍したドイツ・ルネサンス最大の巨匠デューラー(1471-1528)は、芸術家としての自意識を込めて自画像を「発明」した画家として知られています。
デューラー以前も自画像を描くことはありましたが、もっぱら画中の物語場面の一登場人物として隅の方に描かれているのであって独立した自画像ではなかったのです。
デッサンや板絵による多くの自画像を数多く残したデューラーは、当時としてはとても進んだ感覚の持ち主だったようですが、ルーヴル美術館のリシュリー翼には22歳の画家が修行の旅の途中に描いたとてもハンサムな自画像が展示されています。
★デューラー「自画像、もしくはアザミを持った自画像」1493年★(ルーヴル美術館蔵)
Photo by 講談社「週間 世界の美術館」
デューラーの油彩単独自画像としては最初のもので、手に持ったアザミは、図像的には「キリストの受難」の暗示。絵の上部にドイツ語で書かれた「わがことは天の定めのままに」という銘文とあわせると、この作品は“キリストに倣って自分も苦難の人生を生きる”という敬虔な信仰心の表れと解釈できるが、自らも神のような創造者であるという芸術家の自負心をあらわしているともとれる。
また、ドイツ語のアザミという単語“manstrau”には「夫の忠誠」という意味があるため、故郷・ニュルンベルクにいる婚約者への贈り物として描かれたのではないかという説もある。
さて、デューラーがその5年後、イタリア遍歴修行からの帰国後に描いた2作目の油彩自画像はマドリードのプラド美術館にあります。私も昨年見てきましたが、こちらもなかなかの男前で、美術館の公式ガイドパンフにも写真入りで紹介されている名画です。
★デューラー「自画像」1498年★(プラド美術館蔵)
Photo by 講談社「週間 世界の美術館」
自らの社会的地位を誇示するかのように最新流行のヴェネツィアモードの帽子と優美な晴れ着姿の3/4正面像からは、職人ではなく芸術家として成功しつつある26歳の画家のオーラが感じられる。
この図では見えないが、右端の銘文には画家のイニシャルの図案文字も入っており、鹿皮の手袋をはめた両手を組み合わせたポーズからも画家としての自負心がうかがえる。
中世ドイツの画家は職人だったため、署名などは意味を持ちませんでしたが、ルネサンス期には人文主義の影響から銅版画や木版画にサイン代わりの図案文字をいれるようになりました。
版画作品の制作点数も多く著作権の重要性にめざめたデューラーは、意匠を凝らした図案文字を考案し、そのデザインも他の画家に影響を与えたといわれています。
極めつけは、デューラーの自画像の中で最も有名な作品であるアルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)所蔵の「1500年の自画像」。豊かなウエーブヘアを垂らし豪華な毛皮の衣装に身を包み真正面から私たちと向き合うデューラーはキリスト像とダブってみえるような気がします。(毛皮の衣装はキリストとは全く異なりますが)
★デューラー「1500年の自画像」1500年★
(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)蔵)
Photo by 講談社「週間 世界の美術館」
真正面向きの自画像は、人物像としては異例の形式。
従来は聖画像と墓碑にしか認められていなかった形式の自画像は、”神のごとき画家“であるとの信念の表れとみることができる。
顔の右、金文字の銘文には、人文主義者が好んで用いた書体によるラテン語で「アルブレヒト・デューラー ノリクム(南ドイツ地方)の人 不朽の色彩で自らを描く 28歳」と記されている。
強調された手は、右利きの画家の”創造の右手“。
ルネサンスという人間中心主義の洗礼を受け、自分は“神のごとき画家である”との信念を抱いて創作に生涯を捧げたデューラーは、芸術によって真理に近づき対象の本質を見極めようとするうちに、「(神とは違い)人間は無から創造することはできない」ことに気づかされたといいます。
キリストの没年齢とされた30歳を目前に、”神のごとき“自分の正面像を描いたデューラーですが、
鏡を見ながら描いたと思われるデューラーの“ハンサムな自画像“は、そもそも画家の実像を正確に描写しているのでしょうか?
★デューラー「自画像」1484年★(ウイーン、アルベルティーナ美術館蔵)
Photo by小学館「西洋美術館」
父のもとで金細工の修行をしていたデューラーは、途中で画家修行に切り替えますが13歳の時に描いた最初の自画像です。もしこれが実像に近いとすると、約10年でこの少年が一連の肖像画のようなハンサムな青年になるの?という素朴な疑問が・・・・
★シュヴァルツ「デューラー像のメダル」1520年★
Photo by小学館「西洋美術館」
こちらは、デューラー自身のデッサンに基づき1520年に制作されたメダルとしてのデューラー像です。
この横顔のデューラーは極端な鷲鼻で、先の3点のハンサムな自画像から受ける容貌のイメージとはかなりギャップがあります。
自分は”こうありたい”、”こう見られたい”という自分の願望や理想が表現されたのが「自画像」ということなのでしょうか。
但し、古代ギリシャでは、鷲鼻は男性らしい「完璧な鼻」とみなされていたので、むしろ賞賛の意味を込めた極端な鷲鼻と解釈することもできます。
ところで、デューラーより後の時代、17世紀に活躍したレンブラント(1606-1669)は生涯自画像を描き続け、油彩だけでも60点以上制作しています。
内面の表現にこだわり“自画像の画家”ともいわれるレンブラントは、ブロマイド的肖像画を欲しがるファンの要望に応えて、自画像を量産。“コスプレ趣味”かと思えるほど多種多様な姿や表情の自分を描いているので、こちらも演じられた自画像といえましょう。
破産して63歳で困窮の内に死んだといわれていますが、実はそれほど落ちぶれていたわけではないという説もあります。
<レンブラント27歳頃から55歳までの自画像>
★レンブラント「縁なし帽を被り、金の鎖を付けた自画像」1633年★
(絵はがき・ルーヴル美術館展)
2009年に来日した作品に近づいて鑑賞したら、どっしりした質感のビロードの衣装から金鎖が浮き上がっているように見えた。
★レンブラント「若き頃の自画像」1633-34年★
(ウフィツィ美術館蔵)
Photo by 講談社「週間世界の美術館」
鋼鉄製の首当ては、独立したばかりの連邦共和国市民兵の象徴。
深い陰影の中に、名声を得た自信と希望が浮かんでいる。
★レンブラント「大自画像」1652年★(ウイーン美術史美術館蔵)
Photo by 講談社「週間世界の美術館」
”虚飾を捨てた初老の男”?
46歳の「大自画像」婚約不履行で訴えられ、経済的にも苦境にあった孤独な中年男の内面が浮き彫りに。
★レンブラント「聖パウロに扮した自画像」1661年★(アムステルダム国立美術館蔵)
Photo by 講談社「週間世界の美術館」
浪費家だったレンブラントが経済的に破綻し、豪邸も手放したのちの55歳の自画像。
自らを殉教者聖パウロに見立て、小アジアのキリスト教国へ宛てた手紙を持つという設定の作品は、内向的で憂鬱な、悟りと諦めともとれる表情に描かれている。
ところで生涯自画像を描き続けたレンブラントと違い、中年以降の自画像が殆ど出回っていないデューラーは、30代以降の老いていく自分を自画像として全く描いていないのでしょうか?
「ルーヴルはやまわり」には、今回ご紹介したデューラーやレンブラントの自画像などの詳しい解説もあります。

















