『聖母子の画家』ラファエロが描く聖母マリア、あなたのベスト・マドンナは? [私的美術紀行]
巨匠たちが競って描いた多様な「聖母マリア」の中でも私のお気に入りはラファエロ(1483-1520)の描く優美なマリア様のお顔。

★「大公の聖母」
(1504年:フィレンツェ・ピッティ美術館蔵)
(Photo by 「週刊美術館」)
フィレンツェ時代初期に描かれた心温まる母と子という本作品は、一見すると平凡な絵に見えるが、西洋絵画で聖母を立たせるのは革新的でもあった。
この作品は教会の絵はがきやパンフレットにも使われるほど「聖母子」お約束のイメージを定着させた。
子どもの頃からカトリック教会に縁のある人間にとってはいわば「聖母子像の原点」ともいえる作品。
ラファエロは37年という短い生涯の中で50点*の「聖母子」を描き『聖母子の画家』ともいわれます。
(*30点説もある)
8歳で母親と死別し、その3年後に、画家であり絵の手ほどきをしてくれた父親をも亡くしたラファエロが「聖母子像」を愛したのは、生母の面影を追い求めていたのではないかという解釈ができます。
今回は私がこれまでに訪れた美術館所蔵のラファエロによる「聖母子像」からいくつかの作品をご紹介したいと思います。
中部イタリアのウルビーノに生まれ父の死により11歳で孤児となったラファエロは、ペルージャに出てペルジーノの工房に弟子入り。甘美な画風で中部イタリアの人気画家だったペルジーノから技術を学び、さらに独自の作風を形成したラファエロは17歳で親方となり、教会礼拝堂の祭壇画を受注するなど地元では“早熟の天才画家”といわれるようになります。
21歳でフィレンツェに移ったラファエロは、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロをはじめとするフィレンツェ美術の精髄を貪欲に吸収し、小さな肖像画や「聖母像」を描きながら“修業時代”を過ごしたようです。
フィレンツェ滞在中に描かれた数多い「聖母子像」の中から、幼き洗礼者聖ヨハネを交えた3人の見事な二等辺三角形の構図の「聖母子像」3連作を見比べてみましょう。

絵はがき★「牧場の聖母」
(1506年:ウィーン美術史美術館蔵)
なだらかな丘陵に家々が霞むのどかな田園風景の中、聖ヨハネが捧げ持つ十字架に興味津々の幼子イエスとその様子を見守る若き聖母マリア。伏し目がちな聖母マリアの表情には微かな憂いが見えるような気もする。
画面右下に突き出した聖母マリアの右足によって見事な二等辺三角形ができているが、このポーズはレオナルド・ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」にそっくり。

★「ヒワの聖母」
(1506年:ウフィツィ美術館蔵)
(Photo by 「週刊西洋絵画の巨匠」)
聖ヨハネが差し出す鶸(ひわ)は、キリストの受難を象徴するが、背景などからは未来の苦しみを予感させる雰囲気は感じられない。
幼子が母の足の上に自分の小さな足を載せているポーズが愛らしく、情愛に満ちた聖母子像からはルネッサンスらしい人間味が感じられる。(聖母マリアが手にする本はキリストの受難が予告されている聖書?)

★「美しき女庭師」
(1507-08年:ルーヴル美術館蔵)
フィレンツェ時代の「聖母子」3連作の完成版では、幼子キリストと聖ヨハネの位置が入れ替わっているが、前2作との違いは“3人の愛ある視線”
ルーヴル美術館所蔵で“聖母の最高傑作”ともいわれる本作の詳しい解説については、ルーヴル美術館作品解説のスペシャリスト・有地京子さんの「ルーヴルはやまわり」をぜひご覧ください。
やがて“ラファエロの聖母”の評判は教皇ユリウス2世の耳にも届き、25歳になったラファエロはローマに招聘され、ヴァティカン宮殿の教皇の居室「署名の間」の装飾作業を任されることになります。
この大壁画の成功によりラファエロの名声は確固たるものになり、以後亡くなるまでの12年間にわたり、ラファエロはヴァティカンの宮廷画家を務めました。
多忙を極めたラファエロは、弟子たちに指示を与えて作業を進めさせることが多くなりましたが、パトロンたちの肖像画や聖母子像の制作は自ら手がけたといわれています。

★「フォリーニュの聖母」
(1511-12年頃:ヴァティカン美術館蔵)
(Photo by 「聖母マリアの美術」)
ヴァティカンといえば、署名の間を飾る「アテネの学堂」(1509-10年)やラファエロの絶筆となった「キリストの変容」(1518-20年)が有名だが、“(自然体の)雲に乗るマリア”を主題にした本作はローマに来て4年目に描かれた大型祭壇画。

絵はがき★「サン・シストの聖母」
(1513-14年頃:ドレスデン絵画館蔵)
北イタリアのサン・シスト聖堂の為に描かれた作品だが、画面左の殉教者聖シクストゥスにユリウスの肖像が見て取れるようにも見られることから教皇ユリウス2世が自分の墓碑飾りとして描かせたともいわれる。
(聖母の顔は、ラファエロの恋人フォルナリーナ?)
1520年4月、原因不明の高熱が1週間続いたラファエロは、37歳という短い生涯を終え、死去の翌日慌ただしく古代ローマの神々を祭ったパンテオンに埋葬されました。
(Photo by 「週刊美術館」)
ラファエロが眠るローマ南部パンティーノの丘に建つパンテオンは、紀元前に創建された円形神殿。
1度焼失し、2世紀にかのハドリアヌス帝*によって再建された。
*今話題の映画「テルマエ・ロマエ」でお馴染みですね!
ロレンツェットの作によるラファエロの墓『石の聖母』は、誰が供えるのかいつも花が絶えないという。
『あなたに見せたい絵があります』・・・・ブリヂストン美術館開館60周年記念 [私的美術紀行]

今年開館60年を迎えたブリヂストン美術館で開催中の特別展「あなたに見せたい絵があります」を見てきました。
開館当初の石橋正二郎コレクションから始まり60年間にわたって継続してきた石橋財団コレクションの収集活動の成果を発表するという特別展は、「自画像」、「肖像画」、「レジャー」、「物語」、「山」、「海」など11のテーマで構成されていました。
ふだん東京では見られない石橋美術館(久留米市)所蔵品とともに常設展示とは異なる文脈で展示された作品たちを、ブリヂストン美術館の学芸員の方のレクチャー付きガイドで鑑賞するという機会に恵まれ贅沢なひとときを過ごすことができました。
約100点の特別展出品絵画の中から特に私の印象に残った作品をいくつかご紹介したいと思います。

★セザンヌ「帽子を被った自画像」
(1890-94年頃)
セザンヌが描いた自画像30点のうちのひとつ。
50代前半に描かれた本作品はセザンヌの造形における実験のあとを色濃く残した作品。

★マネ「自画像」(1878-79年)
マネが生涯に2点しか制作しなかった自画像のうちの1点。
もうひとつの作品は数年前のオークションで30億円で落札されたとか。

★ルノワール「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」
(1876年)
4歳の少女がリラックスした表情でおしゃまなポーズをとりながら、ほんの一瞬だけ見せた可愛らしい笑顔を切り取ったこの肖像画はいわばルノワールの出世作。
ルノワールは、ゾラやモーパッサンなど当時の人気作家の小説を手がける出版業者、ジョルジュ・シャルパンティエの長女ジョルジェットを描いたこの肖像画が依頼主から気に入られたことでサロンで成功することができました。
実際のジョルジェットの写真よりも可愛らしいともいわれるこの肖像画を気に入ったシャルパンティエは妻など家族の肖像画を計5点も依頼し、夫人が自宅で主催するサロンに招き友人・知人に紹介したそうです。
この2年後に描かれた「シャルパンティエ夫人と子供たち」の肖像画は、以前ニューヨークのメトロポリタン美術館で見ましたが、当時のブルジョワ階級の暮らしぶりがわかるだけでなく、超高級ブランドの新流行のドレスの魅力も伝わるファッション画にもなっているのが見どころです。

★藤島武二「黒扇」(1908-09年)
1908年、パリからイタリアに移った藤島武二が留学中に描いた気品ある女性像は、師の画風を受け継ぎながらも、流麗、闊達な筆遣いは藤島自身の資質にもよっていると評されている。
画家の滞欧期を代表するこの作品を画家自身とても気に入っていて、長らく手元に置いてあったという。

★藤島武二「天平の面影」
(1902年:石橋美術館蔵)
重要文化財に指定されている本作品は藤島武二が1905年の渡欧前に描かれたもの。
藤島武二は洋画を描くようになる前は日本画を学んでいたそうだが、素人目には西洋で流行した“ジャポニズム”のような雰囲気を感じる。

★ピカソ「腕を組んですわるサルタンバンク」
(1923年)
ピカソは旅芸人や曲芸団を題材にした作品を好んで描いているが、確かなデッサンで古代彫刻のようにがっしりした体つきに描かれている。

★青木繁「わだつみのいろこの宮」
(1907年:石橋美術館蔵)
“山で狩りをする暮らしをしていた山幸彦は、日頃海で漁をしている兄の道具を借りて釣りに行ったところ釣り針をなくしてしまった。兄がどうしてもその釣り針を返せというので途方に暮れていた弟は、海の神に導かれて海の彼方へ。そこで出逢ったトヨタマヒメに一目惚れして結婚した”という古事記の物語。
28歳で夭折した伝説の天才画家・青木繁(1882-1911)は、留学経験はありませんがイギリスのロセッティ(ラファエル前派)などが神話や物語主題の作品を扱ったことを知り、日本やアジアの神話を主題にした作品を描いています。
石橋美術館の所蔵品には、石橋財団コレクションの柱となっている青木繁の著名な作品「海の幸」や「海景(布良の海)」などもありますが、久留米出身の洋画家、坂本繁二郎が小学校の図画代用教員時代に石橋正二郎氏を教えていた縁で、坂本と同郷の友人で既に亡くなっていた青木繁の作品を集めるようになったそうです。
ブリヂストン美術館では、没後100年にあたる2011年に青木繁の大回顧展を開催しましたが、日本の画家についてあまり知識のない私は全然気づきませんでした。普段目にすることが出来ないこれらの作品を、今回の特別展で間近に見られたことは私にとって非常にラッキーだったといえます。

★坂本繁二郎「放牧三馬」
(1932年:石橋美術館蔵)
印象派のような明るい光と風が感じられる作品の主題は、坂本が好んでスケッチしたという阿蘇の放牧馬。
進学をあきらめて代用教員になったものの、友人である青木繁に刺激されて上京し、絵を学んで洋画家となった坂本繁二郎(1882-1969)は、1921年渡仏。
フランスで明るく鮮やかな色彩の風景画に磨きをかけましたが、1924年、郷里の久留米に戻ると以後は東京に戻ることなく終生九州で制作を続けたといいます。
石橋美術館は、坂本繁二郎の作品を多く所蔵していますが、石橋文化センターの園内には坂本が実際に使っていたアトリエが八女市から移築されています。

★ゴッホ「モンマルトルの風車」(1886年)
当時パリの若者たちの人気スポットで、ルノワールの著名作品の舞台にもなっている「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」を描いたもの。
しかしゴッホがパリに出て間もない時期に描かれた本作品の色彩は暗く、人物もいないので物寂しい風景画にも見える。とはいえ、空、風車、地面の描き方を変えた筆遣いはオランダ時代から進化。

★モネ「黄昏、ヴェネツィア」(1908年)
68歳のモネは、この年の春体調を崩し、目の状態も悪化したが、9月末から12月半ばまで妻のアリスと一緒にヴェネツィアを初めて訪れ本作を制作した。
静養が当初の目的だったが、この町の独特な光にすっかり魅了されたモネは、ホテルに長期滞在して約3カ月間制作に没頭したという。
翌年、モネはヴェネツィア再訪を計画するものの健康がすぐれず断念した。

★セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」
(1904-06年頃)
故郷エクスのこの山がある風景をこよなく愛した画家が、最晩年に描いた作品のひとつ。
ブリヂストン美術館島田館長によると、
“前景の木の枝が一番遠くの山の稜線と呼応。青と緑の色の変化だけで描いている。
緑と青の中に黄土色という補色の建物を入れて色だけで画面を構成した作品は、ピカソやマチスの新しい絵画に繋がるもの” (BSジャパン「欧州美の浪漫紀行3」より)
印象派や19世紀のフランス絵画などを日本の近代洋画と一緒に鑑賞できるブリヂストン美術館は、「世の人の幸福のために」をモットーとして美術館を開設した石橋正二郎氏の熱い思いが感じらるコレクションでした。
今回の特別展では、美術館の新所蔵作品として2点が展示されていましたが、その1点は、印象派のパトロンとしても著名なカイユボットの作品でした。

★カイユボット「ピアノを弾く若い男」
(1876年)新所蔵作品
(作品の画像はすべて絵はがきより)
東京駅からほど近い交通至便な場所にありながら、他の美術館よりも割安な入場料で素晴らしい作品を鑑賞できるブリヂストン美術館は私のお気に入りスポットになりそうです。
♪♪春のうららの隅田川♪♪・・・・江戸の桜とスカイツリーのある風景 [街あるき]
今年は、完成した東京スカイツリーと桜のコラボが見られる初めての春です。
都心方面へ出るときの車中からはいつも眺めているけれど、震災後はご無沙汰だったスカイツリーの様子を見にカメラ片手に“ちょい花見”に行ってきました。
★吾妻橋から桜橋にかけて約1000本の桜が咲き乱れる隅田川
江戸時代の享保2年、八代将軍徳川吉宗が庶民も桜が見られるようにと開放した由緒あるお花見スポットとスカイツリー。
★隅田川近辺各所で桜まつりが開催されたが、隅田川挟む形の隅田公園では、4月15日まで桜まつりを開催中。
隅田川のクルーズ船や水上バスが発着する台東区側は浅草観光の外人客も多い。
墨堤の桜は、文化年間、隅田村の境から寺島村の白髭周辺に地元の文化人佐原鞠塢と浅川黙翁により植桜されました。
これは幕府の命ではなく、村民の手による初めての植桜の事例といいますが、その後も村民による植桜が相次ぎ、墨堤には見事な桜並木ができ、江戸の桜の名所になったそうです。
明治以降も文化人・実業家の協力の下村民を中心として桜が植え続けられていましたが、近年、墨田区も「墨堤の桜保全・創出事業」を実施して早咲き・中咲きなど様々な品種の桜を隅田公園に植樹するなど新たな桜の名所づくりに注力。
★墨田区側には、水戸藩下屋敷の遺構を利用して造られた日本庭園があり、向嶋芸妓茶屋が設けられるなど風流なお花見ができる。

★花見客は、隅田公園の見事な桜よりもスカイツリーの撮影に夢中。
★クルーズ船乗り場には長蛇の列。
船のデッキはカメラの放列・・・・
★東武鉄道ロマンスカーとスカイツリーの2ショットも人気の構図。
浅草発着の列車は橋の上で徐行するので、乗客はスカイツリーを間近でゆっくり見られる。
東武鉄道はスカイツリー開業を前に駅名を「業平橋」駅から「とうきょうスカイツリー」駅に、路線名称も「東京スカイツリーライン」に変更。


★お花見弁当も花盛りですが、江戸風の湯島・扇の笹巻き弁当
さて、スカイツリーまで徒歩20分の錦糸町からちょっとしたお花見をしながらスカイツリーに向かうお散歩コースもオススメです。
いつもはスカイツリーの全景を見ながら歩ける「タワービュー通り」を行きますが、今回はのんびりお散歩40分コースの「大横川親水公園」ルートを歩いてみました。
水と緑の遊歩道を歩き、業平橋から上がればスカイツリーはすぐそこに・・・・
生活空間にあるスカイツリーと桜という組み合わせも個人的にはお気に入りです。
★墨田区が生んだプロ野球界のスーパーヒーロー、王貞治さんが卒業した「業平小学校」は、「タワービュー通り」にある。
桜前線は順調に北上中とのことですが、関東地方は、いきなり初夏のような陽気で満開の桜もビックリし、花散らしの雨に慌ただしく葉桜に?
『冬こそ楽しい!旭山動物園』・・・・レッズサポ的アウエイ参戦後のお楽しみ [お気に入り]
3月下旬の週末、25年ぶりに冬の北海道へ行って来ました。
前回は、「さっぽろ雪祭り」の見学でしたが、今回は、浦和レッズとコンサドーレ札幌の試合を応援に行くのが主目的。とはいえ、サッカーの応援だけじゃなく地元周辺の観光や味覚を貪欲に楽しむのが浦和レッズサポのならい。
試合前後の数日間は、道内至る所に応援グッズを身につけたレッズサポが出没したようです。
(私と娘は違いますが、コアなサポの旅姿は、試合の応援に行くときと同じなので一目で判別できます)
★雪に埋もれた札幌ドーム★
新千歳空港に近く最寄りの地下鉄福住駅から徒歩約10分。
交通便利だが、積雪時の歩道は狭く、試合終了後は大渋滞。。。
桜の開花宣言も間近な東京から、滑走路の除雪のため飛行機の発着が遅れた札幌に到着すると、そこはまだまだ本格的な冬景色の北国。グランドや空き地は雪捨て場となり道路の端には歩道が見えなくなるほど雪がうずたかく積まれています。雪が降っていても地元の人は、予想外の軽装で出歩いていますが、基本的にはマイカー移動なのでしょう。
3月下旬でも例年以上の積雪にすっぽり雪に埋もれた札幌ドームですが、場内は工場直送のサッポロビール・クラシックがおいしく感じられる最適環境に調整され寒さ知らず。
立ち上がり一瞬の隙をつかれて先取されるも浦和レッズが見事な逆転勝利。
直前の仙台戦で大怪我を負った山田直輝の回復を祈るコールの後は、2000人のサポーターがマフラーを掲げて勝利の歌を大合唱。
☆蟹の甲羅焼き☆
☆うに丼☆
北海道では、冬の生うには稀少品?
もちろん、勝利の宴はホテル近くの隠れ家的お店で北海道の新鮮な海鮮料理を堪能。東京から予約しておいたので、産地を厳選した貴重な「うに丼」や、濃厚な蟹みそ料理を味わうことができました。
さて、翌朝早く、ツアーバスで、“空飛ぶペンギン”で有名な旭川市旭山動物園へ。
札幌中心部から道央自動車道利用で旭川まで約2時間の快適な雪道ドライブですが、真冬の間は高速道路が閉鎖され、一般道で移動せざるを得ないこともあるとか。バスは “日本最北のSA” 砂川で途中休憩し、雪が舞う一面の銀世界の中をひたすら北上し、無事開園前の旭山動物園に到着。
団体入場口の前は、道内各地から参集したツアーバスのお客さんで大賑わい。「行動展示」の導入で日本有数の入場者数を誇る旭山動物園は、寒いときはマイナス20度になる旭川にあっても道北の人気観光スポットなのです。
★☆「ペンギンの散歩」★☆
例年12月下旬~3月中旬の積雪期のみ実施。今年は積雪が多いため、冬季営業最終日の4月8日まで実施されるかも。(前日の16時に公式HPで実施予定が発表される)
☆キングペンギンだよ☆
親ペンギンの餌探し行動を再現し、ペンギンの運動不足解消?
団体行動が苦手なペンギンは参加しないとか。
「今日はお客さんが多いですね」
「春休みだから、子ども連れがたくさん」
「前の奴ら、手なんかつないじゃって。。。。なんかやけるな」
★☆「オオカミの森」★☆
ケンとマースの夫婦は2月下旬に交尾が確認された。昨年5月の3頭出産に続き、今年も赤ちゃん?
★☆おらんうーたん館★☆
父ジャック(29歳)と2007年生まれのモリトが展示されていた。
夏季は高さ17メートルの塔を渡る様子が観察できるが、冬季は屋内でロッククライミング用のホールドなどで遊んでいる。
数年前、夜間、ロープがからまったモモが亡くなる不幸な事故があったため、遊具としてのロープは撤去?
見よ!この引き締まった筋肉美を
森人(モリト):かあちゃんどうしてるかなぁ
★☆ホッキョクグマ★☆
稀少動物のホッキョクグマは、繁殖目的で各地の動物園との交換移動も多いらしい。
もうすぐホッキョクグマの繁殖の季節。
昨年末は出産に至らなかった「サツキ」と「ルル」の相手は「イワン」?
展示再開後の「ルル」が姪の「ピリカ」と仲よくじゃれ合っている姿は、カップルと間違えられることも多いらしい。
☆「シールズアイ」☆
あざらし目線でホッキョクグマが体感できるので大人気。
並んでも、運が悪いとクマが近づかないこともあるが、
朝は入館制限、午後は40分以上の待ち時間で断念した。
★☆ペンギン館★☆
360度見渡せる水中トンネルは、ペンギンが空を飛ぶように泳ぐ姿が見られる。
4種類のペンギンを屋外放飼場と冷暖房完備の屋内放飼場、真冬は、手前のトボガン広場で間近に観察できる。
☆茶色のペンギンは赤ちゃん☆
☆午後2時前でも気温は氷点下☆
★☆あざらし館★☆
大水槽と繋がっているマリンウエイ(円柱水槽)は、猛スピードで泳ぐあざらしが至近距離で見られるので子どもたちは大興奮。水槽に張り付いてなかなか離れない子も多く、カメラマン泣かせ?
★☆レッサーパンダ★☆
雄のノノの繁殖相手として、3月8日、山口県の徳山から雌の栃がやってきた。
★ペンギン館のもぐもぐタイム★
10時半の開園と同時に入園したのにあっという間に4時間が経ってしまいました。
午後2時すぎの「もぐもぐタイム」を見てから、出口に向かいました。
<あさひやま動物園のオススメグルメ>
園内は、飲食店が何カ所かありますが、「カレーうどん」を買って、あたたかい屋内の無料休憩所で食べました。
屋外の休憩所もありますが、雪が降る冬季、昼時の飲食スペースはどこも混み合います。
ネットでみつけた焼きたてパンのお店で買った「あんこ入りクロワッサン」がとても美味でした。
メロンパンも大人気のようです。
私たちは札幌市内発着のツアーバス「旭山動物園号」を利用。
現地でたっぷり4時間滞在できる人気コースですが、入園時に解散して、復路は自由行動で、路線バスとJRの特急を乗り継ぎ新千歳空港に向かうコースを選びました。
滞在2時間でもハイライト見学は可能ですが、せっかく自然体で生きる動物たちと会える場所なのでゆっくり時間をかけて見学したい動物園です。
旭山動物園の素晴らしいところは、飼育スタッフたちの心意気が随所に感じられる展示方法や、最新情報がもりだくさんの手作りボードなど。
厳冬期は、交通機関が乱れることもよくあるし、見学者にとっては厳しい環境になりますが、実は、WEBサイトの情報もとても充実しています。
次回、機会があれば別の季節の動物たちにも会ってみたいですが、もし一度しか行けないなら敢えて冬季をオススメします。
きっと他の動物園では体験できないことがあなたを待っているはず。。。。
ボヘミアの小さな古都、中世から時が止まった『世界遺産の街・チェスキー・クルムロフ』 [海外旅行]

★高台にあるチェスキー・クルムロフ城★

★城から見たチェスキー・クルムロフの旧市街★
街は、緑豊かなボヘミアの大地にS字を描いて蛇行するヴルタヴァ川に沿って発展した。
自作のスケッチを絵はがきにしたいと思った風景のひとつが2007年の中欧旅行で、ウイーンからプラハに向かう途中立ち寄った『世界遺産の街・チェスキー・クルムロフ』です。
13世紀にヴルタヴァ川河岸の丘の上に領主の城として築かれたチェスキー・クルムロフ城を中心に発展した街は14~16世紀にかけてのロジュンベルク家の統治時代大いに繁栄しました。

★チェスキー・クルムロフ城の塔★
最初ゴシック様式で建設され、後に一部がルネッサンス様式に改修された。


★聖ヴィート教会の尖塔★
★聖ヴィート教会の聖堂内部★
城の対岸にある旧市街は、後期ゴシック様式で創建された聖ヴィート教会とルネサンス様式の建造物が整然と並ぶ町並みが見事に調和しています。

★ボヘミア風の壁の装飾★

★旧市街の中心・スヴォルノスティ広場★
左右対称の建物が多く、正面や壁の装飾には、ルネッサンス後期から初期バロック様式の特徴が見られる。

★広場にある市庁舎の壁には紋章★

★城へ向かう石畳の道には世界各地からの観光客★

★マリオネットの土産物屋の店頭に座るカッパ★
この街にもカッパ伝説があるでしょうか?

★高台に立つチェスキー・クルムロフ城★
橋をわたって城内見学へ。

★橋のたもとのキリスト像★


★城の対岸の河岸には、眺めの良いレストランが並ぶ★

★チェスキー・クルムロフ城の中庭★
城はたびたび増改築され、5つの中庭と40の建造物がある。

★昔の大砲などの展示★
★チェスキー・クルムロフ城の美しい装飾壁★
この城の壁の装飾は彫刻ではなくだまし絵。
プラハ城に次いでチェコ第二の規模を誇った城は、後にルネッサンス様式に改築され、庭園にはバロック様式の「夏の離宮」が建てられ、貴族たちが舞踏会や野外の円形劇場で演劇を楽しんだそうです。
しかし20世紀になるとドイツによる占領や共産党独裁政権下で城は大きな被害を受け、近代化の波から取り残されていました。
1989年の自由化によって修復が進み1992年にはユネスコの世界文化遺産に指定され、現在は中世の美しい町並みが蘇っています。
城内は一部のみガイドツアーで見学できますが、室内の撮影は禁止。
北国らしく各部屋には大きなストーブがありましたが、馬車の展示や劇場として使われていた部屋もあり往時の栄華がしのばれる古城でした。

私たちが訪ねた10月中旬は、晩秋の気配で風も冷たい日でしたが、中世にタイムスリップしたような街を散策し、ヴルタヴァ川(モルダウ川)の紅葉風景を楽しむこともできました。
★高さを調整した渡り廊下★
チェスキー・クルムロフ城は何度も増改築されているため、建物同士を結ぶ渡り廊下も傾斜している。
《オマケの情報》
◆このチェスキー・クルムロフは、世界文化遺産に指定されていることもあり、日本人に人気の高い観光スポットですが、訪問時この街で日本語を話せるガイドはたった二人だけでした。
ツアーで行った私たちは日本語ガイドで城内を見学しましたが、個人旅行の場合は英語のツアーガイドに参加しないと城内の見学はできません。
◆11月から冬の間は修復作業のため、城内の公開は休止されるそうです。
オーストリア国境に近くプラハからも3時間くらいはかかる遠い場所にあるので、城内が公開されている春から秋の期間の訪問がおすすめです。
世紀末のウイーンの画家エゴン・シーレは母の生まれ故郷でもあったこの街を愛し、多くの風景画を残しているそうですが、シーレの風景画はまだ見ていません。
絵画の鑑賞が大好きな私ですが、画才は持ち合わせていないので、残念ながらこの夢はいつまでも夢のままで終わってしまいそうです。
マイ・ベスト・フェルメールを探して 「フェルメールからのラブレター展」へ [私的美術紀行]
「フェルメールの傑作3作品が世界から集結!」というふれこみの展覧会ですが、特に最近修復された「手紙を読む青衣の女」は、以前から見たかった作品なので事前にTV番組や、美術解説セミナーで予習をしてから鑑賞しました。

★「手紙を書く女」★
(1655-56年頃:ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵)
Photo by 展覧会チラシ
本展覧会の告知広告やチラシにも使われているので、最近目にする機会が多かった作品。
フェルメール作品に6度も登場する白貂をトリミングした黄色のガウンを着用し、ラブレターを書く手を休めてこちらを見ている若い女性は満ち足りていて一点の陰りも感じられない。
謎めいた表情が多いフェルメール作品においては異質ということで、アメリカ以外の国ではあまり人気がないとか。
机の上にさりげなく置かれた真珠の輝きも、彼女の服の黄色もこの作品ではとても美しく感じられる。
最近の修復によって、“描かれた当時の輝くような青色と明るい表現が甦った”「手紙を読む青衣の女」は、まさに実物を見なくては感じることのできないフェルメール・ブルーでした。

★「手紙を読む青衣の女」★
(1662-65年頃:アムステルダム国立美術館蔵)
Photo by 展覧会チラシ
フェルメールの最高傑作といわれる本作品は、修復後、オランダに先駆けて日本で初公開された。間近で見た実際の『青衣(フェルメール・ブルー)』は、印刷物で見るよりも落ち着いた色という印象。
金色の錨つきの椅子は質感も素晴らしく、色もとても美しい。この作品は“謎解き要素”が満載であることも人気の要因?
日本に居ながらにしてこの作品に出会えた幸せを感じる。
☆ゴッホが手紙の中で「とても美しい身重のオランダ婦人」と描写したり、マタニティドレスと解釈する研究者も多いそうだが、当時流行していた綿入れ風のスカート*着用とする『オランダ発の最新ファッション説』をとりたい。
☆女性が手紙をしっかり握りしめながら一心不乱に読む手紙の差出人は、一体誰?
そして、その内容は?
机上に置かれたもう一枚の手紙は?
壁に架けられた地図**と2脚の椅子、“愛を表す真珠”などから、旅行中の恋人からの手紙ではないかともいわれるが・・・・
*このスカートは、ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵の「天秤を持つ女」も着用。
**壁の地図は、「兵士と笑う女」↓にも登場。

★「手紙を書く女と召使い」★
(1670年頃:アイルランド・ナショナル・ギャラリー蔵)
Photo by 展覧会チラシ
2008年のフェルメール展にも来日している本作品は、“フェルメールの翳り行く晩年”の作品だが、女性の袖やカーテンの切り子状のひだは美しく評価は高い。
元は個人の邸宅に飾られていたが、2度も盗難にあったことから美術館に寄贈されたという。
☆“奥様が不倫相手にしたためている和解の手紙”のできあがりを待つ召使い?
今回、「コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ」というコンセプトで集められて展示された作品は、フェルメールの他に、ヤン・ステーンやピーテル・デ・ホーホなど私にとってもお馴染みの画家の作品がありなかなかユニークな展覧会でした。
17世紀のオランダは他国に比べて識字率が高く、信頼できる郵便制度が成立していたということで、ラブレターなどのやりとりが絵画作品のモチーフとなり得たわけですが、アジア方面への手紙の返信が届くのは約2年後というのはちょっとした衝撃でした。
ところで、今回の展示作品ではありませんが、フェルメールの作品で、『手紙』をモチーフした作品にはどんなものがあるかちょっと調べて見ました。

★「窓辺で手紙を読む女」★
(1658-59年頃:ドレスデン国立絵画館蔵)
以前このブログでも何度かご紹介している本作品は、2005年の「ドレスデン国立美術館展」を含めて2度来日。
☆手紙を読む女性の表情は憂い顔に見える。手紙の内容がとても気になる・・・・。

絵はがき★「恋文」★
(1669-71年頃:アムステルダム国立美術館蔵)
こちらも2度来日している晩年の作品。
美術館から盗難にあってダメージを受けた箇所は修復家の手によって元通りにされたそうだ。
☆演奏の手を止めて召使いと顔を見合わせている女主人。一体どんな内容の手紙?

絵はがき★「女と召使い」★
(1667-68年:フリック・コレクション所蔵)
書き物をする女主人に手紙を届ける召使いという本作品は、フェルメールの風俗画作品の中では異例に大きいサイズ。(「手紙を書く女」の2倍くらい)
☆“暗く塗られた背景が、声をかける召使いと驚いたように振り向く女主人との間の一瞬の緊張を強調する”といわれる。しかし、フェルメール自身は、暗い背景の風俗画の出来映えが気に入らなかったのか、少し後の作品「恋文」は絵の構成としては衣装も含め両者は似通っているのに背景は全く異なっている。
オマケの情報 《門外不出のフェルメール作品》
大富豪だった実業家ヘンリー・クレイ・フリックの元自宅だったニューヨーク・マンハッタンの邸宅美術館にある作品はすべて『門外不出』。フェルメールの3作品も一切貸し出さないので其処に行かなければ見ることができない。

絵はがき★「稽古の中断」★
(1660-61年:フリック・コレクション所蔵)
以前は人物の後の壁にヴァイオリンがかかっていたが、売られる前に行われた修復で、後世に書き足した物と判断され取り除かれた。しかし、本当に後世のものだったのか疑問という説もある。
☆こちらを向いて戸惑ったような表情の少女が手に持つ白っぽいものは何?

絵はがき★「兵士と笑う女」★
(1658-59年:フリック・コレクション所蔵)
ワイングラスを手にした女性の笑顔が楽しそうな本作品は、ごく初期に描かれた風俗画。
フリックがもっとも気に入っていた絵といわれるが、「稽古の中断」を購入した10年前とくらべてフェルメールの価格は跳ね上がっていたらしい。
*壁に架かる地図は、「手紙を読む青衣の女」にも登場する。また、女性の服は、「窓辺で手紙を読む女」と同じようだ。
フェルメール作品は、主題から細部に至るまで謎解き要素が多いので何度見ても楽しめますし、印刷物を見て感じていた印象と、美術館で実物を見たときの印象が異なる作品もあります。
さて、マイ・ベスト・フェルメールは?
“アドリア海の真珠”ドゥブロヴニクの城壁ウォーキング・・・・2009年クロアチア・スロヴェニアツアー備忘録 [海外旅行]
★城壁からの眺め~旧港方面★
クロアチアの南端、アドリア海に面したドゥブロヴニクは、古くから「ラグーサ共和国」という海洋国家として栄え、小国ながら自治を貫いてきた歴史のある街です。
自由を旗印に地中海交易で繁栄した要塞都市の共和制は、ヴェネツィア、ハンガリー、オスマン帝国の支配下にあっても変わることはありませんでした。しかし、15世紀末、大航海時代の新大陸発見や、インド航路の確立と共に徐々に衰退し、1808年には、ナポレオンのフランス軍に征服され、共和制の幕を閉じました。
その後ドゥブロヴニクは、オーストリア領、旧ユーゴスラヴィア領となり、現在はクロアチアの一地方都市となっていますが、1991年、独立に際してユーゴスラヴィア連邦軍から受けた攻撃の傷跡は城壁遊歩道の上からも各所で見かけました。
旧市街の入口、ピレ門を入ったところに、ユーゴスラヴィアからの独立戦争による被害状況を説明する大きなボードがありました。
★「1991-92年のユーゴスラヴィア内戦による
ドゥブロヴニクの爆撃被害マップ」★
平和を取り戻した今、堅牢な城壁に囲まれたドゥブロヴニクの旧市街観光のハイライトは、なんといっても“アドリア海の真珠を満喫する”城壁からの眺め。
真夏は汗だくになる城壁ツアーですが、私たちは秋の午後の暖かい日差しの中、快適なウォーキングを楽しみました。
城壁の上に張り巡らされた遊歩道は1周約2キロ、遊歩道への入口は3ヶ所ありますが、反時計回りの一方通行なので、城壁の一部のみ歩きたい場合は要注意です。
★ピレ門横の「城壁入城口」からウォーキング開始★
隣の建物は、フランシスコ会修道院。
修道院内にある世界で3番目に古い薬局のオリジナル化粧品は女性に大人気。もちろん私も購入!
★私たちのゴールは、背後の「ミンチェタ要塞」★
★城壁からの眺め~「オノフリオの大噴水」★
1428年に造られた噴水は、12キロ離れた源泉から水を引いている。
★城壁からの眺め~プラツァ通りから旧港方面★
メインストリートの両側はショッピングストリート。
正面に見えるルジャ広場の鐘楼は毎時鐘が鳴る。
★標高412メートルのスルジ山★
旧市街を一望できる観光スポットであるスルジ山山頂までのロープウエーも、1991年の独立戦争の際に破壊された。(2010年7月に復旧)
★城壁からの眺め~「ボカール要塞」★
小さな湾をはさんで左右に海に突き出した要塞が立っている。
★城壁からの眺め~旧市街と新市街を結ぶ橋★
観光客は、ピレ門の外でバスを降り、この橋を渡って旧市街を観光する。
★城壁からの眺め~「ロブリイェナツ要塞」★
結構狭い通路もあるが、写真撮影スポットがたくさんある。
★城壁からの眺め★
城壁は切り立った岩の上に建っていることがわかる。
★城壁からの眺め★
1991年12月6日、この城壁は旧ユーゴ連邦軍による砲弾を浴びた。
旧市街の多くの建物が破壊され、多数の市民が犠牲になった。
その後数年がかりで街は修復されたが、爆撃の跡がそのままになっているところもある。
★城壁からの眺め★
城壁に隣接する旧市街の住宅の屋根の色が異なるのは、爆撃で破壊されたものを修復した建物と古い建物が混在しているから。
色鮮やかな瓦は砲撃後に修復されたもの。
★城壁からの眺め~「聖ピーターの砦」★
城壁の上には聖人の名前が付けられた小さな砦がたくさんある。
★城壁からの眺め★
クラシックな帆船スタイルの観光船が白波をたてながら航行。
沖合には大型船も停泊していたが、大型のクルーズ船は、旧港ではなく、もうひとつのグルージュ港から発着する。
★城壁からの眺め~ロクルム島★
旧港からは、旧市街の沖合約700メートルにあるロクルム島行きのグラスボートなどが発着。
★城壁からの眺め~「聖イヴァン要塞」の砲台★
★城壁~「聖イヴァン要塞」★
正面に見えるスルジ山の山頂には、19世紀初めナポレオンが贈ったという白い十字架があるが、現在あるものは戦争後に建て直されたもの。(ロープウエーも2010年に修復)
★城壁からの眺め~旧港と「レヴリン要塞」★
★城壁からの眺め~旧港★
かつて海洋国家の交易を支えた港の役割は別の港に移り、こちらは観光ボートの発着所として観光客で賑わっている。
3つのアーチが見える建物は、かつてアーセナルという造船所だったが、現在はレストランなどになっている。
★城壁からの眺め~「聖ルカ要塞」(左)と
城壁外に独立している「レヴリン要塞」★
★城壁からの眺め~「ドミニコ会修道院」★
当初、修道院は城壁外にあったが、防衛上重要な場所にあったため城壁に囲まれるようになった。
★城壁からの眺め~「ミンチェタ要塞」からの展望★
城壁の中で最も高所(25メートル)にあるので、町を一望する絶景が楽しめる。
ドゥブロヴニクは、大型のクルーズ船も寄港するが、国内各地の他、イタリアのバーリと結ぶフェリーも就航している。
★城壁からの眺め~内戦の爆撃の跡?★
★城壁からの眺め★
城壁ツアーもこれで終了です。
アドリア海に面した旧市街を一望する絶景を目に焼き付けて街へ降りました。
この美しい風景がもう2度と戦争に巻き込まれないことを祈ります。
このツアーで訪ねたスロヴェニア・クロアチア各地のハイライトは、以前2回に分けてご紹介していますのでご興味があればお立ち寄りください。
スロヴェニアとプリトヴィッツェ湖群などについては、こちらをご覧ください。
今回のドゥブロヴニクなどアドリア海沿岸の街については、こちらでご紹介しています。
◆ドゥブロヴニク城壁ツアーミニ情報◆
・遊歩道に入場できる時間は季節により異なる。(10月は、10:00~15:00)
・団体割引でどこからでも入場できるチケットは、ピレ門脇のチケット売場のみ。
・日本語のオーディオガイドなし。
・反時計回りの一方通行なので、時間の都合などで一部のみ歩きたい場合は要注意。
※遊歩道の途中には休憩できるカフェやトイレもある
スペインで最も美しい!『白い村・フリヒリアナ』・・・・2010年スペイン周遊旅行備忘録 [海外旅行]
グラナダからバスでマラガへ向かう途中、スペインで最も美しいといわれる白い村「フリヒリアナ」を訪ねました。
アンダルシア地方の白い村といえば岩山の斜面にはり付くように白壁の家々が立ち並ぶミハスが有名ですが、アルミハラ山麓になだれ込むように白い家並みが連なるフリヒリアナはとても素敵でした。
白い壁は頻繁に塗り替えて、いつでも白く美しい街並みを保つように住民たちが協力しあっていると聞きました。
細い道は小型車やオート三輪がすれ違うのも大変ですが、階段道の荷物運搬手段は?
コスタ・デル・ソルの玄関口、マラガからバスで20分ほどのこの町はイスラム時代から続く古い街並みを保存していることで知られているそうですが、まだ日本での知名度は高くないようです。
真っ白な家々を飾る色とりどりの鉢植えの花が旅人を楽しませてくれますが、フリヒリアナは狭い石畳の坂道や階段が多い町です。
ロバが今も荷物運びの現役とききましたが、ミハス名物の観光ロバタクシーはこの村にはなく、行き止まりも多く迷路のような街を散策するのは自分の足だけが頼りです。
《アンダルシア地方の街並み情報》
フリヒリアナは鉢植えの花で彩られた白い壁の路地がどこまでも続く魅力的な村でした。
★フリヒリアナ★
★コルドバの花の小路★
アンダルシア地方の街並みのイメージ写真には、『コルドバの花の小路』がよく使われますが、“この写真に見えるのがすべて”というほど狭いエリア。
観光客が集中する時間帯には記念撮影もままなりません。
モナリザだけじゃ勿体ない!ルーヴルではフェルメール鑑賞もお忘れなく [私的美術紀行]
☆★うっすら雪化粧のパリ☆★

☆★夜明けのパリ☆★
冬は朝8時でもまだ薄暗い
今年の冬、日本全国で厳しい寒さの日が続きますが、東京より緯度が高いパリでは今頃の季節は氷点下の気温の日が続いているのではないでしょうか。
2008年の年末から新年にかけてパリを訪問した私は、北国の厳しい寒さで風邪を悪化させてしまい、体調が回復するまでかなり苦労しました。

大晦日に見学したルーヴル美術館では、ラファエロの「美しき女庭師」を見た後、大混雑の人波にもまれたモナリザの展示室から別棟のフェルメールの展示室まで移動するのに大汗をかき、フェルメール観賞後は早々にルーヴルを退散してしまいました。
昨年秋、美術解説セミナー講師の有地京子先生が「ルーヴルはやまわり」~2時間で満喫できるルーヴルの名画~という本を出版されたのですが、あの時この本が手元にあったらもっと楽しくまわれたのにと思います。
- 作者: 有地 京子
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2011/11/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
●必見名画40点の作品リスト一覧表は巻末にあります
●表紙カバーの裏側に携帯便利なルートマップが印刷されています
「ルーヴルはやまわり」については、このブログでも以前ご紹介していますが、”巨大で複雑な迷宮・ルーヴル“を知り尽くした達人が裏技を駆使して、迷わず楽しく短時間で巡るルートを教えてくれます。
厳選40点の名画(時間に余裕がある方向けにはプラス15点の名画も)を楽しむ鑑賞ルートマップつきのガイド本という体裁ですが、ルーヴルに行かずに読むだけでも十分楽しめる名画解説本です。
◆ルーヴルはカルーゼルから入ろう!
では、もしあの時私がこの本に出会っていたら、モナリザの展示室からフェルメールの展示室までの移動中に鑑賞したかった名画を今回は数点だけですが有地先生推奨のルートに沿ってご紹介しましょう。
※周回ルート、必見名画リストなど鑑賞についての詳細は上(↑)でご紹介の本をご覧下さい。
◆迷わずにモナリザに直行しよう!◆
(ドゥノン翼2F・イタリア絵画)
★レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナリザ」★
1503-06年頃
◆バロックの開祖・カラヴァッジョの傑作を鑑賞◆
(ドゥノン翼2F・グランドギャラリー)
★カラヴァッジョ「女占い師」★
1595-98年頃
Photo by「もっと知りたいカラヴァッジョ」
◆ナポレオンの戴冠を堪能しよう!◆
(ドゥノン翼2F・フランス絵画の大作)
★ジャック・ルイ・ダヴィッド「ナポレオンの戴冠式」★
1806-07年
Photo by「るるぶパリ」
☆★オマケの情報☆★
ナポレオンは、エッフェル塔近くの「アンヴァリッド」に眠っています。
◆ルーヴルの穴場はリシュリュー翼!◆
北方絵画、日本人の愛するレンブラントとフェルメールへ
★フェルメール「レースを編む女」★
1669-70年頃
絵はがき★フェルメール「天文学者」★
1668年
2012年の東京は、まさにフェルメール展のビッグイヤーですが、名画揃いのルーヴルの中でもきらりと光るフェルメールの傑作鑑賞をお忘れなく!
バレンタインチョコもパンダ・・・・だよね! [パンダ]

★”春が待ち遠しい”さくらパンダのチョコ★
今年もバレンタインの季節がやってきました。
最近は、“世界中から集められた選りすぐりのチョコレートが日本で食べられる”甘党女子にうれしいイベントという意味合いが強くなったという説もありますが、甘い物が苦手の方もこの時期はやっぱり最新チョコ情報が気になるのでは?

★色白美人のシンシンは甘い物が苦手?★
とってもグルメなパンダなのに、実は甘い物は苦手らしいという上野動物園のパンダ・シンシンのイチオシチョコは、大丸・松坂屋の人気者“さくらパンダ”です。

★さくらパンダは2009.3全国デビュー★

★キティちゃんともコラボしました★
上野・松坂屋のオリジナルキャラクターだった“さくらパンダ”は、2009年、全国デビューしたのですが、今年はバレンタインチョコ・デビューを果たしました。

我が家にやってきたのは、イタリア・BABBIのさくらパンダです。
国内外でコレクターも多いベアブリックのパンダとBABBIのチョコレートウエハースがセットになっているので、甘い物が苦手でもこれならOKですね。

★さくらパンダのバレンタインチョコ★
モロゾフからは、色々な表情のさくらパンダがプリントされたプレーンチョコの詰め合わせが発売。
今年はことのほか寒さの厳しい冬ですが、さくらパンダで一気に春の気分?
★このパンダチョコ、誰かに似ている?★
(ウイーンのウイナー・ショコラーデケーニッヒで購入)
★えっ、私たちのことですか?★
南紀白浜の梅浜&永浜

★梅&永もビックリのパンダ・シューズ★
上野駅構内のお店で撮影







